帝 都 異 聞 録

























序 定め























 青白い電灯の灯りもぽつぽつ減り始めた夜更けは、その灯りが鬼火のようにゆらりと揺らめいている気がする。

 最終の汽車に乗り込んで、真夜中に着いたこの街は、電灯の灯りだけで妙に幻想的な、そして不気味な様相を醸しだしていた。

 瀟洒【しょうしゃ】な洋館が建ち並ぶ大通りはちゃんと舗装され、靴の踵と触れあってかつかつと小気味の良い音を立てる。普段は気にならないそんな音も、誰も居ないこの道では酷く浮いて聞こえた。

 ふ……とまた電灯の灯りが一つ減った。

 もう寒さとは縁遠い春の盛り、真夜中であろうとも冬の寒さには及ぶはずもないのに、何故か身震いするほどの寒気を感じた。
 何故だろう。蜃也
【しんや】は羽織った外套の襟元を手で押さえて、道を進む。

 母親の急な危篤の知らせを受け、家を飛び出したのは昨日の夕方。もしやすれば今日の明朝になるやもしれなかったことを考えれば、まだましかもしれないが、それでも母の死を看取ってやれるかどうか。

 父親は元々仕立て職人だったのが落ちぶれて、ついには酒と賭博に手を出した。入ってくる当てのない金は湯水のように消えてなくなった。故に、家計は常に火の車。それを支える為に母はいつも苦労ばかりしていた。

 朝には士族の家で女中をし、帰ってきてからは手内職。ただでさえ苦しい生活は父親の放蕩でさらに圧迫された。なのに母親は文句一つ言わず、娘を嫁にやり、息子には学問をさせた。

 物心付いた時から、父親に怒鳴られたり殴られている母の姿しか知らなかった幼い自分は、大きくなったら絶対に母を楽にさせてやろうと思っていた。なのに、その楽をさせないままに年月は過ぎ──この危篤の知らせだ。

 そんなことを考えながら歩いていると、気持が焦って歩調が早くなる。早歩きが小走りになって家へと急ぐ。駅から十分とかからない場所にある家なのに、今日は何故か無性に遠く感じる。早く早く早く。

「──覚悟!」
 通りの角を曲がろうとした時、耳に飛び込んできたのは凛とした女の声だった。しかも、若い。少女のような声だった。

 何だ? と思って前方に目を向ける。電灯はほぼ消えてしまっていて視界は悪かった。

「……ぐっ」
 と低い、くぐもった声が聞こえて、同時に駆け出す足音がした。早い──こちらへ向かってくる!

「!! 待て!」
 再び少女の声が聞こえてきた。

 ただならぬ気配に、どうしようかと思った。自分は先を急がねばならない。しかし、夜中に少女の声がするなど尋常ではない。何故こんな時間に少女がいるのかは知らないが、暴漢に襲われたらしい少女を放っておくわけにもいかない。

 思考は一瞬、しかしその内に一人の男が視界に入った。

「逃げろ!!」
 またも少女の声が飛んできて、しかもそれは自分への警告らしかった。
 一体何なのか問いただす暇もなく、男が跳躍した!

「!?」
 人にはあり得ない跳躍力に、怯む。一瞬全ての行動が止まって頭が真っ白になった。

 呆然と見上げていると、前方から少女が飛び込んできて、後ろへ突き飛ばされる。その衝撃で尻餅をついた。手にした鞄も思わず手放してしまい、傍らに落ちてどさりと音を立てた。

 ギンッと金属の擦れ合う音が響き、腕を振り下ろした男の攻撃を、少女が受け止めた事が分かった。一体どうやって……? ぼんやりと見つめた先で、少女が手にしたものを振るった。

 僅かな電灯の光を反射してぬらりと反射したのは真剣──刀だった。
 少女の細腕に見合わない凶器に、戸惑う。今や人ではなく、まるで獣のような仕種で地を這う生き物と対峙する、少女の背は小柄で、長い髪が動きに合わせてふわりと揺れる。

 飛びかかってきた男に対し、冷静とも言える身ごなしで攻撃を跳ね返し、または受け流す。連続的に攻撃を繰り出し、男が攻撃の手を緩めたその一瞬に、少女は素早く前に入り、鮮やかな手つきで下から上へ袈裟懸けに斬り捨てた。

「……なっ」
 あまりの出来事に、そんな呻き声にも似た声しか出なかった。流石に、死にかけた人を何度も見たことがあっても、現に殺人の現場を見た経験はない。

 男の身体から勢いよく血が噴き出す光景を想像したが、その想像は裏切られた。
 血の代わりに吹き出したのは、どす黒い霧のようなものだった。霧はまるで恨みを吐き出すかのように、低い呻き声を漏らしてうねる。

 少女が刀を鞘に収めると、霧を見てだろう、呟く。
「去れ。此処はお前に取っても苦しかろう」
 という言葉と同時に、黒い霧が霧散する。突風が突き抜けて、蜃也は咄嗟に顔を覆った。

 ……からん、と軽い音を立てて何かが落ちた。少女はそれを拾い上げ、暫く検分したのち懐にしまい込んだ。

「……あ、あの」
 何時までも沈黙している場合でも無かったので蜃也から声を掛けた。いつの間にか電灯は全て消えた。後は細い月明かりのみが頼りだ。

 振り返ったのはやはり年端もゆかぬ少女だった。綺麗にリボンで纏めていたのだろう髪は、先ほどの激しい動きで所々解れていたが、別段怪我もなさそうで安堵する。

「申し訳御座いません。お怪我はありませんか」
 抑揚の乏しい、だがやや低めの甘い少女の声は耳に心地よかった。夜中に刀を振り回しているような少女にしては、えらく丁寧な口を利く。話しかけながら立ち上がるのに手を貸す仕種にも品の良さがほの見えた。

「……いえ、こちらこそ。怪我はありません。……しかし、あの……」
 先ほどのは、一体……? と声に出して問いただす前に、少女の、猫のような切れ長の瞳がひたと蜃也を見つめて質問を封じた。

 呆気に取られた蜃也を尻目に、少女はすっと優雅な一礼を残して踵を返した。
「今夜の事は、お忘れ下さい」
「ちょっと、君!」
 呼び止めたが、少女は振り返りもせず、一刻も早く、と急いた様子で駆け出した。長い黒髪がその動きに合わせて生き物のように跳ねた。

 駆け去る少女の背を見送りながら、妙に印象に残る顔立ちをしていたな、と漠然とそんな事を思った。

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