ヤ モ リ





















 氷色の星を食べたらきっと、かりかりと音がしてまるで硝子を食べるような感じなのかなって、思う。

 味は多分無い。でも多分ひんやり冷たくて、いつまでも消えてなくならないような気がする。
 小さく溶けても、刺みたいな欠片が刺さって抜けないのだ。きっと。

 冬独特の冷えた透明な空気を吸い込み、塵のような氷の粒を吐き出しながらあたしは思う。
 都市の空気は汚染されているらしい。だがその空気を吸って生きてきたあたしには空気の味の善し悪しなどわからない。それでも夏よりもきれいに感じるのは偏にこの寒さのせいだと考えている。

 ありとあらゆるものは、熱せられると滅び、凍らされると静かに息を止め──生を放棄する。
 小さな生き物たちの、無数の死が呼んだ清浄さ──なんて、考えてるのはあたしだけかもしんないけど。

 空を見上げて、月に向かって息を吐きかけてみる。
 白い靄の先で、青白いそれは何事もないかのように皮肉な笑みを刻んでいた。



 あたしはこの世界の夜しか見たことがない気がする。

 というより、夜しか覚えていないと言ったほうがいいだろうか。月の形は覚えていても、真昼の空の色はわからない。空を見るのが好き──そんな単純な理由ではないような気がする。夜に魅せられる何が、あたしにはあるのかもしれない。

 あたしは一体、昼間に何を考え、何を見て生きているのだろう。不意にそんなことを思う。
 冷たくなった指先を缶紅茶であっためながら飲む。人知れずこっそりマンションやアパートの屋上へ上がり込み、夜空観測するのがあたしの日課だ。そうと意識してないけど、夢遊病の気でもあるのかもしれない。

 今日の夜はすっきりと晴れて、心なしか月も冴えてくっきりと見える。昨日より少し膨らんだ月がビルに切り取られた四角い空の中で星を食べていた。

「あれ〜?また会ったね〜」
 突如としてその場の静寂を破ったのは、少年の声だった。
「……あんたまだ帰らないの」
 あたしは声の主に向かって、不機嫌に答えた。あたしの視線の先で、給水塔に腰掛けた少年はひらひらと手を振った。

 不機嫌になるのには理由がある。静かな世界を壊されたのもそうだが、この少年との会話は疲れるのだ。昼間のテンションで夜中喋るこいつは実は吸血鬼とか狼男とかに代表される夜行性動物なのではないかと密かに思っている。
 まぁ、それらしき片鱗も見あたらないし、単なる不良少年なのだろう。

 年の頃はあたしより二、三歳ほど下くらいだろうか。くるくるよく動く目は薄い茶だが、月明かりで金色にも見えた。
 名前は『ヤモリ』であるらしい。下の名前を聞いても、ないとか答えやがるので、多分偽名。

 そのヤモリ少年は真夜中を徘徊していることさえ除けばごく普通の男の子だった。しいて特徴を挙げるなら歳の割に多少小柄で、よくよく見れば整った顔立ちをしているというくらいである。きっと昼間すれ違ったとしても一瞬後には忘れてしまうような、そんな少年だ。

 そしてそれは、あたしにも当てはまる。特に目を引くでもない容姿に平凡そのものの性格。適度に世の中に折衝して自分を殺して大人になっていく。
 そんなあたしたちが普通でない時間に遭遇することを、他人は何と言うだろう? 運命とか必然とか、抽象的で物語的な現象でひとくくりにされるだろうか?

 あいにくとあたしは運命論は支持してないので、この一言に集約される。
 即ち、確率だ。雨が降るか降らないか、表が出るか裏が出るか──その程度の話だ。神様の意志が存在すると言われるよりシンプルな論だと思うのだけど。

「いーじゃん。一人より二人の方が時間潰せるよ?」
「あたしは独りになりたいのよ」
 首を傾げるヤモリにあたしは呟くように抗議した。
 実際、他人と関わるのは、あたしにとって苦行なのだ。この時間だけはあたしのものにしたい。なのに。

「……嫌がらせ?」
 缶紅茶からたち上る湯気に、あたしの言葉を混ぜる。幸か不幸かヤモリには聞こえなかったようだ。
「そーいや、君名前なんていうの?」
 ふと思い出した、というように、彼はきいてきた。

 あたしはしばらく黙っていたが、ヤモリは一切あたしを急かすことなく待っていた。
 彼の小さな鼻歌──それは最近流行の歌で、決して上手いとは言えなかった──を聞きながら、あたしは小さなため息を吐いた。
「……氷」
「ふぅん、氷さんか〜。ありがと」
「……どうしたしまして」
 あたしたちは、給水塔の上と下でただ沈黙していた。特に話すことなど無かったし、その必要性があるとも思わなかった。

「ねぇ、氷さん?」
「何」
「星は眠るの?」
「は?」
「落ちた星はどうなるのかな」
 突如発せられた質問は、まるで何でも知りたがる子供のようなもので、あたしは思いっきり眉を顰めた。
「知るか」
 考えるのも馬鹿らしくて、そんな適当な返答をした。

「あのねぇ……ちょっとは考えてよ」
「やだよ」
「氷のケチ」
 ヤモリの不満そうな声を聞いて、少し溜飲を下げた。

 缶紅茶を飲み終えたあたしは立ち上がって踵を返す。
「明日も来る?」
「……来ないよ」
 そっけなく返して、空き缶をゴミ箱に投げ入れた。



 逃げ道を探すようになったのは、いつだろう。
 面倒さを知って、手抜きを覚えたのはいつだろう。
 何かに一生懸命になったことなど、あたしにはあっただろうか。

 そんなことを考えているといつの間にかあたしは夜中に徘徊している。
 昼間にあたしの場所はない。だから夜中に自分の存在を捜す。誰もが眠っている世界はあたしの知る世界でないようで安心する。

 ただひとつ、ヤモリが干渉することを除けば、だが。
 ヤツは一体何を目的にこんな時間をうろついているんだか……って、あたしに言われたくないか。

 今日も、何も変わり映えしない一日だった。
 適当に眠気と闘って聞いた授業は上の空。クラスの人間はあたしに気も留めない。家に帰れば引きこもる。そしてみんなが眠るとあたしは起きる。
 あたしの耳に飛び込んでくるのは、怒声と懇願、泣き声。あたしに縋る、冷たい手の感触がおぞましくて。
 離れないで。出ていかないで。どっかへ行って。消えてしまえ。あんたなんか──

「……生まなきゃ良かった、か」
「どしたの?」
 いきなり声を掛けられて、吃驚した。見上げるとやっぱりヤモリで、あたしはこっそり舌打ちした。
「来ないつったのに」
「来ない日なんかないでしょ」
 ヤモリの反撃を受けて、あたしは押し黙る。実にその通りなのだが、何で知ってるんだ、こいつは。

「あんた相当暇人でしょ」
「当ったり〜。僕、ヒマなんです」
「……」
 戯けて返されて、なんだか突っ込む気力も無くなった。
 給水塔に背中を預けて、ずるずると座り込む。珍しくヤモリは給水塔から降りてきて、あたしと同じ視点に立つと、何かを差し出してきた。

「あげる」
「……何」
 渋々ながら手を出すと、ざらざらと音を立てて手のひらにこぼれ落ちた。慌てて両手でそれを受け止めて……何を渡されたのかにようやく気づいた。

 淡いパステルカラーに色づけされた、コンペイトウだ。見た目にも可愛くて、昔は良く買ったものだが、量を食べれない菓子だし、結構余ったりしたっけ……。

「何のつもりよ」
「コンペイトウ食べると星食べてるみたいでいいでしょ?」
「……良くねー」
 あたしはげんなりと呟いた。誰か、こいつを家に連れて帰ってくれ。
 手のひらの上でコンペイトウを転がしたり、指先でいじってみたりした。一粒手に取って、口にする。コンペイトウなど、砂糖の味でしかないはずなのに懐かしい甘さだった。噛み砕いても棘が刺さることなく、口の中で溶けて消えた。

 ヤモリも、コンペイトウを満足そうに食べながら、あたしの横に座った。
 星を眺めてコンペイトウ食べて、なんか分かんない沈黙なのに、気詰まりはしなかった。
 よく考えてみると……この少年とは、黙っていても気疲れしないような気がする。
 あたしは、淡い水色のコンペイトウを月明かりに透かしてみた。星の、氷色に似ている──

「あたし、いらないってさ」
 平静を装った、平淡な声を意識して、あたしは言った。
「あたしがいたら、上手くいかないんだって」
 そうやって、彼女はあたしをなじる。その癖、時々あたしを抱きしめて、離れないで、消えないでと連呼して泣く。彼女が心因性の病気を持っていることを、あたしは知っている。

 でも、だからといって、どうしてあたしを否定するの──?

 彼女は、あたしの母親なのだ。あたしを生んだのだ、彼女の意志で。
 あたしは、あたしの意志で彼女を母親に選んだわけじゃない。そう言うと、決まってあたしに怒鳴る。せっかく生んでやったのに、と。

 誰が頼んだのよ。あんたが勝手に望んで勝手に生んだんじゃない。生んでから後悔するくらいなら、最初から望まなければ良かったのよ。
 彼女の言葉には苛立ったし、悔しかった。……悲しかった。
 家族など、他人の始まりでしかないのだ。そう割り切って、あたしは生きてきた。
 でも。

「……もうダメかもなぁ」
 苦笑しながら、呟いた。精一杯、強がって言ったつもりだった。なのに、視界はぼやけて星は重なって見えた。
「……それで、消えちゃおうと思ったの?」
「そうだよ」
 あたしが夜中、徘徊する理由は、何の憂いも不安もない居場所の確保の為。
 家にも学校にも居られないあたしは……何処で生きればいい──?

「氷さんが消えたら……もう会えないね」
「だね」
「僕は、嫌だな。会えなくなるの」
「……いーんだよ。どうせあんたみたいな物好き、他にいないし」
「僕だけでもいるじゃん。駄目?」
 あたしはちらりとヤモリを見た。少年は、いつもと同じように無邪気な表情でコンペイトウを食ってやがった。……人がマジ話してるってのに、こいつは……。
 でも、何か気が抜けた。馬鹿馬鹿しくなった、と言った方が正しいだろうか。

「馬鹿みたい」
 あたしはため息をついて、コンペイトウを口に放り込んだ。
「それが取り柄ですから」
「……あっそ」
「人生、真面目に生きすぎると損するよ?」
「……あたし、不真面目目標にしてるんですけど」
「じゃあもっと手ぇ抜きなよ」
「そーする」
 あたしはそう返して、立ち上がった。

「元気出た?」
 声を掛けてくるヤモリを、あたしはまじまじと見返した。もしかして、慰めてたつもりなんだろうか。
「……まぁ、なんとなく」
 曖昧な口調でそう言うと、ヤモリは笑った。

「君なら大丈夫だよ」
 言って、すこし考えてから付け足した。
「あの質問の答え、考えてくれると嬉しいな」
 言われて、あたしは軽く天を仰いだ。
「ま、気が向いたらね」
 そう返したものの……この時以来、あたしはヤモリの姿を見かけない。



 ──まるで、夢を見ていたかのように、あたしははっと覚醒した。
 白い天井が目に入って、眩しかった。それだけでなく、時間帯は昼間らしかった。

 ぼんやりと、周りを眺めながら、なんでこんなところにいるんだろう、と考えた。
 あたしの夢はリアル過ぎて、夢ではないような気がしたし、実際夢ではないと思う。

 するといきなり部屋の扉が開いて、あたしの名前が呼ばれた。
 泣きじゃくって、ひたすら謝る母親を前にして、腕に巻かれた白い包帯を眺めやって、ようやく、思考が働き始めた。ぼんやりとだが、思い出した。

 そうだ……あたしは、自殺を図ったのだ。どうやら、失敗したみたいだけど。
 消えちゃえば楽かな、と軽く考えてやったのだけど、とんでもなく痛かったことを最後に、あたしの記憶はない。普通に生活しているつもりで幽霊にでもなっていたのかもしれない。

 母親は、まだ泣いている。ごめんを繰り返す彼女に、今更だという気持ちが強まるが……ひとつ、彼女にあたしの存在を刻みつけられたかな、と少しだけ皮肉に考えた。



 あたしの怪我はそんなに酷くはなかったので、病院にいたのも僅かの間だけだった。
 あたしが思い切った事をしたのを、彼女は彼女なりに後悔したらしい。少しは話し合えるようにはなったし、久々に顔を出した学校でも、何人かが、心配してくれてた。

「星は眠るの、か……」
 夜中の徘徊。多分、一週間ぶり。毎日出歩いているような気がしていたけど。
 ヤモリに投げかけられた問いを、反芻してみる。

 夜空に輝く星は、夜にしか現れないからそこに生きているのだと思うけど、よく考えればそれは地球という星の都合でそう見えてるだけなのだ。
 人の一生が終わるくらいの遠い距離にあるのに、あたしの肉眼でも確認出来る小さな星。きっと、気付いてない人間の方が多いだろう。
 でも、そんな些末なことを介さないあの星を綺麗だと思う。

「星は落ちたらどうなるのか、ねぇ……変なこと考えるよなぁ」
 あたしは苦笑まじりに呟きながら、缶紅茶を口にする。

 星は、落ちる時ですら綺麗だ。自らが滅びる時でも、最後まで輝き続ける。
 ……そのことがほんの少し羨ましい。

 やや白みはじめた空を見上げて、つかの間邂逅した少年のことを思い返す。
 ヤモリはきっと今日もどこかでひとりの人間にそっと寄り添っているのだろう。
 人を遠ざける人が、本当は人を求めて彷徨っていることを、あの少年はよく知っているから。

 彼がくれたコンペイトウの甘さを、多分あたしは忘れられないだろう。
 そしてあたしはいつの日か、ヤモリを真似て、誰かに砂糖菓子の星屑をそっと分け与えてあげるのだ。



 それは、あたしが独りでないことを知った、記念的出来事の象徴なのだ。
































【ヤモリ】Date.2006.3

 某所に出そうかどうか迷っていたのですが、時期的にずれて出すのも面倒になったので、サイト掲載だけすることにしました。
 2006年2発目の短編。『蝶子』は実質的には去年の作品なので、正真正銘今年1発目の短編です。

 内容は、一言で言うなら『暗い』ですかね。
 続く低テンションの話。少しはテンション上げたい……とか常々言ってるような。
 次に考えてるのもテンション低いし、今はそういう周期なのかもしれません。

 今回の『ヤモリ』。
 変わったタイトル……トカゲに対抗てきるやつ……と考えてて、もうこれしかないと思ったので『ヤモリ』。
 姿形が似ているし、ヤモリ少年という響きがなんとなく使いたくなったので。
 この少年が何者なのか、についてはいくつか考えてはいるんですが、それを書いちゃうと現実的になるかなぁ……と思って削除してみました。彼の正体については読む方の判断に任せます。つまり丸投げ。

 流れ的には、『幸福論。』と似てますね。
 どん底から回復していくっていう型の話です。
 救いのない話を好んで考えてた時期があったのですが、近頃はもう救いがあっても良いじゃない、と思ってそのテの話が増えてます。
 ご都合主義と言われても、作り話くらいは救いがあっても良いだろう、と。そんな感じで。

『君の”愛”って世界的規模やねん』とか桜氏に言われた事があるのですが……
 ……思い返してみれば、過去『愛って何?』とかいう設問に対して、すごーく広い意味で答えを書いたな。
 恋愛だけが愛やないやろ的な感じで。
 ……だから私の恋愛ものは、ちっとも色気がなくて、淡泊なのでしょう。多分。

 個人的にサイト掲載すら躊躇ってたくらいなので、すぐに下ろしちゃうかもしれません……。
 迷うようなもん書くなと言われそうですけど、私の更新ペースの遅さに対する申し訳なさの結果、とでも考えて下さると吉。