百 年 の 葬 送












1



 リシリーは今日の収穫である林檎の入った駕篭を抱え直し、ぼんやりと空を眺めた。空は夕闇に染まりつつある柔らかな桃色。山の端に残る金色の陽光が、名残惜しそうに一日の果てに沈みゆこうとしている。

 その陽光を受けて輝く髪は赤みを帯びた蜂蜜色。暖かく、優しいその髪の色は、この辺境の村では珍しいほどくすみが無く、その紫色の瞳もまるで宝石の様。

 リシリーの容貌を形容すると、そんな月並みの表現になってしまうのは、やっぱり俺には学が無いからだろうか、と少し自己嫌悪に陥った。

 リシリーの白い肌は農作業をしていても、きめ細かくつやつやとしていて、頬を紅潮させて懸命に働く姿は好もしいと思う。
 長く、細い指も、吹けば飛びそうな華奢な体躯も、農作業にはあまり相応しくない。優雅に指を走らせて、刺繍する姿の方がしっくりとくる。

 皆、リシリーは実は貴族の令嬢で、何かの事情で捨てられたんじゃないか、などとこの辺境に不似合いな彼女の素性を噂するが、不思議とこの場所で働く姿が馴染んでいて、ここが彼女のあるべき場所なのだ、と確信する。
 なのに、今空を見上げ、ぼんやりとした瞳で何処か──俺には見えない何処か──を捉えたようなリシリーを見ていると、時折不安な気持ちにさせられる。

 今すぐにでも、空に溶けよう、とでも考えているのかもしれなかった。今すぐにでも風になって、新しい場所へ行こう、と密かに決意しているのかもしれなかった。
 リシリーには昔から、そんな危なっかしい所があった。

「リシリー、早く帰らないと怒られるぞ」
「……エセル」
 俺はそうやってリシリーを急かしたが、彼女はぼんやりとした口調のまま、俺の名を呼んだ。

「太陽と月って不思議。どうして同じ空にあるのに、一緒に居られないのかしら?」
 始まった、と思いながら俺は冗談交じりに返す。
「さぁ? 実は喧嘩してんじゃねぇ?」
「どうして?」
「大事に育ててた林檎全部取られたとか」
「林檎、食べるのかしら」
 そう言ったきり、何か考えるように黙りこんでしまった。

 リシリーは、間違いなくこのラーシエリィ村で一番の美人だ。それは誰もが認めるところだが、それと同時に村で一番の変わり者だ。
 そんな人間と十七年、同じ屋根の下で住んでると、いい加減慣れてくる。美人で気だても良くて働き者、と来れば嫁の貰い手も引く手数多だろうが、リシリーの空想癖は俺でさえ時々ついて行けない。
 男達が怯むような事を大っぴらに言うし──例えば、王様は本当に必要なのか、とか──、大人しそうな顔をしているのに、その言動は時々問題になる。

 以前、この辺一帯のリンゴ園の視察に来た貴族が乗っていた馬を勝手に解放して、その動機を尋ねた貴族への返答が、『だって彼の故郷はここなんですって。彼女がいるみたいで、帰りたがっていたもの』、である。
 その後、機嫌を損ねた貴族の某様に村長が必死で取り繕って、その年生まれた仔馬の中でも一番良いものを献上する羽目になった。村長はそれ以来リシリーに対して良い感情を持っておらず、俺たち親子への風当たりもきつい。

 そんなリシリーの『実績』に、その内言い寄る男も居なくなってしまった。友人のジルなんかは、リシリーを理解出来るのはエセル、お前だけだ、なんて大まじめに言う。挙げ句の果てには、嫁に貰えば? である。……俺とリシリーは兄妹なのだが。同い年だから、双子か?

 とは言え、本当の兄妹かと言えばそうでもない。リシリーは俺が生まれた日に、俺の家の前に捨てられていて、哀れに思った母親が引き取って養女にしたのだ。
 母親は身体が弱くて、二人目を望めそうに無かっただけに、赤ん坊を見捨てる事が出来なかったんだ、と親父は言っていた。

 母親はその数年後に亡くなって、代わりにリシリーが家事をしている。……が、正直料理は俺の方が上手いと思う。同じ手順で料理をするのに、どうしてあんな珍妙な味になるのか。ある意味天才とも言えるが、実に有り難くない才能である。

「今日の晩飯何?」
 反応が無いだろうと思って適当に問い掛けたら、意外にすぐさま返事が返ってきた。
「ポテトサラダ」
「……それだけ?」
「今、メインになるサラダを考えてる所なの」
「……頼むからマトモに作って」
 恐ろしく変な所に創作意欲を燃やさないで欲しい。メインディッシュになるサラダを考案するくらいなら、サラダの味をまともにする方法を見つけて欲しいものだ。今日もこっそり味を調節せねばならないようだ。

「楽しみにしてて。きっと凄いの考えるから」
「はいはい」
 でも結局、嬉しそうににっこり笑われてしまうと、そう答えて許してしまう辺り、俺はこのリシリーにとんでもなく甘いのかも知れない。



 人が住む土地には伝説が残る。
 このラーシエリィにも、もちろんある。それは、近くの古城には吸血鬼が住む、というものだ。

 その昔、ラーシエリィはラーシエリィ伯爵が治める領地だったのだが、彼は若くして亡くした美貌の伯爵夫人を忘れる事が出来ず、領地から美しいと噂される娘を後添えとして召喚していたという。その回数は実に十数回に及び、召喚された娘は一人として帰ってくる事は無かった。

 その内、実はラーシエリィ伯爵は娘の血を求める吸血鬼だったのだ、という話が流れ出し、民衆の間で囁かれるようになった。娘を奪われた父親や恋人達は、手に武器を携え、ラーシエリィ伯爵の屋敷を急襲。血まみれの伯爵の首級を上げると、城に火を放った。

 これによりラーシエリィ伯爵領は他の領地に吸収され、この村に名を残すのみである。しかし、今でも定期的に娘が失踪するという事件が起こっており、ラーシエリィ伯爵はまだ生きているのではないか、と影ではまことしやかに語られている。

 ラーシエリィ村を含むこの一帯に住む人間ならば、五歳の子供でも知る伝説だ。俺も昔、悪戯をして『ラーシエリィの古城に閉じこめるぞ!』と叱られた覚えがある。
 ラーシエリィの古城は一度火に焼かれたものの、堅牢な石造りの城は簡単に崩れる事もなく、百年程経とうとしている。

 鬱蒼とした森の中にひっそりと佇む姿は、遠目に見ても不気味で、そこだけ空気が違うように思ったものだ。危険だから近寄るなと言われても、子供は必ず一度はあの城に行くから知っている。
 それがラーシエリィの村の子供たちの『しきたり』で、出来ない子供は仲間はずれなのだ。

 生活感はおろか、人の気配さえ一切無い城。何かの骨のような木々の、乾いたざわめきや、風の音───その全てが意志を持って俺を圧迫しているようだった。
 今、あの頃より十ほど年が増えたのだが、感じる恐れは間違いなく同じだった。

「……あの馬鹿。何処いったんだよ……ったく」
 そうぶつくさ呟きながら、俺は古城に近寄る。
 今朝、気づいたらリシリーは家出していた。
 主な原因は、昨夜の晩飯であるポテトサラダである。俺が味を調節している所を運悪く見つかってしまったのだ。

 リシリーはあの家で、完璧な家族の一員を目指していた。多少型破りな考え方をする彼女だが、料理を作り洗濯をし、リンゴ園を手伝って、繕い物をするという、普通の母親が担うような仕事をやりたがっていた。そうする事で、少しでも血のつながりがないという事実の溝を、埋めようとしていたのだ。

 ──俺たちに、『要らない』と言われない為に。
 それが俺たちには分かっていたから、こっそりとやっていたのだが、とうとうばれた。今回だけでなく、今までずっとそうだったと気づいたリシリーは、酷く落ち込んだ様子で部屋に戻って、それきり姿を見ていない。

 今朝起きたら、テーブルの上に探すな、という主旨の手紙が残されており、探索に出ているのである。
 ──実は、リシリーの家出は珍しくない。ちょっとしたことで──時には何が原因か分からず──、家出をしたことが何度かある。その度に、この古城でリシリーを発見する。

 どうせ何もない田舎だ。隠れるところなんて限られている。ただでさえ避けられている古城に一人向かう勇気は讃えるが、毎度同じ所に居るのでは家出にならない。もしかしたら迎えに来るのを待ってるのかもしれないが。

 そう思いながらいつもの場所に出向いたが、そこにはリシリーは居なかった。
 いつもなら古城の入り口手前、獅子を象った門構えの裏に隠れているのだが……。
 ふと、前方を見ると、古城の正面の扉が開いていた。扉の向こうにあるのは底知れぬ闇色。古城の扉が開いているのを、俺は初めて見た。
 もしかして、リシリーはとうとう業を煮やして、城の中に入ってしまったのだろうか。

「……手の掛かるヤツ……」
 言いながら、古城の扉に手を掛けた。ジルが居たら、やっぱお前、リシリー好きだろ、と突っ込まれてしまいそうだ。
 ……そりゃ、家族だし。どれだけ手が掛かろうとも見捨てられない。
 リシリーって、何の脈絡もなくいなくなりそうだよな、と言ったのもジルだったか。全くもって、その通りだよ。



 城の中は、真っ暗だった。当然のように明かりは入っておらず、外からの光が漏れている以外、光源は全くなかった。
 燭台らしきものはあったが、もし蝋が残っていたとしても火を付ける術を持ってない。俺は舌打ちしながら先へ進む。こんな事なら火打ち石くらい持って来れば良かった。

 覚束ない足取りで、城の中を探索する。リシリーの名を呼びながら、うろうろと彷徨ってみても、リシリーが返事をする気配はない。もっと奥へ行ったのだろうか。意外に恐いもの知らずだから。

 俺は正直、リシリーほど肝が据わってないのだ。こんなところから早く出てしまいたかったし、恐ろしい。元々暗闇は苦手だ。
 得意だという人間もあまり見かけた事はないが、リシリーはそういう人種かもしれない。こんな所に入る気になるとは。

 歩いていたら、目前に扉がある事に気づいた。手探りで扉の取手を見つけ出し、扉を開く。
 きぃぃぃぃ……と長年動かされることの無かった扉が、軋みながら開く。それはまるで細い女の悲鳴の様にも聞こえて、この城で起こったという惨劇を否応なく思い出させた。

 ──そこはまるで、礼拝堂のようだった。
 整然と並んだ長椅子。大きく取った窓は硝子が破られていて、他の場所より明るい事は確かだが、この城がある森自体が妙に薄暗いせいで、この礼拝堂もセピア色に染まっていた。

 正面には祭壇と、ステンドグラス。慈愛に満ちた聖母と、その聖母に抱かれた彼女の子供は、汚れない表情で色硝子の中に閉じこめられていた。その神聖さが、逆に忌まわしいもののように見えた。過去の惨劇に似つかわしくない聖母の気高い顔立ちは、それ故に不穏なものを孕んでいる事の証明のようで──

 その少し手前に視線を移すと、一人の少女が立っていた。
 俺は、それが誰なのか、一瞬分からなかった。

 金のヴェールのようになびく髪。普段陽光に晒されている髪は輝いて美しいと、お世辞ではなく思っていた。この薄暗い中でも、その髪は光を集めたように綺麗だった。
 なのに、それに違和感を覚えた。汚れない聖母を奇妙だと思うように、薄闇でくっきりと浮かぶ人間離れした輝きを放つ少女──リシリーを、俺は……恐いと思った。

「リシリー!」
 名前を呼んだら、少女はふと振り返った。何の表情も読み取れない瞳。何を見ている? 何を捉えた?
 一瞬の後、リシリーははっとした様に俺を見ると、彼女にしては珍しく切羽詰まった声を張り上げた。

「エセル、来ちゃ駄目!!」
 その、リシリーの声を最後に、彼女は消えた。

 今までの彼女の存在など、無かったとでも言うように。まるで俺を嘲笑うかのように。

 あっさりと。







 ──やはり、消えた。
 今回はラーシエリィ村の、リンゴ園の少女が消えたと、人の噂で聞いた。

 この辺りは定期的に失踪する少女が出る。こんな小さな村では、人ひとりが居なくなることでも大事件だが、三年ごとに一人ずつ消えていく、という何かの法則のようなそれが加わると、途端にそれは恐怖の対象となる。

 そう、例えば、少女が三年ごとに消えてなくなるのは、この土地に未だ生き残る吸血伯の花嫁に召されたのだというように。
 多くの少女を後添えに求めたという吸血鬼の話を、私はよく知っている。

 その吸血伯──ラーシエリィ伯爵が現存していた頃も、三年に一度花嫁を召し出しており、彼女たちは一人として帰ってくる事は無かった。遺体さえ、見つかる事が無かったと言う。
 未だに続く三年ごとの花嫁探しが、ラーシエリィ伯爵が生き残っている証明ではないかと人々は語った。
 私はその噂の真相を確かめる為に、ラーシエリィ村へと向かった。

 少女が消えてから一週間足らずで、村はどことなく活気が無かった。その村の者の話によると、リシリーは──少女の名だ──、とても美しいが気さくでよく働く娘だったそうである。多少言動が変わっていたけれど、笑顔が愛らしい娘だったと。彼女をよく知るらしい農婦は、そう言って肩を落とした。

 娘が住んでいたという家を教えて貰った。そこに向かう途中、リンゴ園を眺めて通った。ここで、少女は林檎を収穫し、豊作に喜び、凶作に泣いたりしたのだろうか。空を眺めて天気を読んで、それが外れた、当たったと言い合いながら、仕事に精を出したのだろうか。
 一人の人間の痕跡が、全て消えてしまうというのは、何度聞いても酷く哀しいことだ。

 緩やかに続く一本道を歩いていると、前方に一人の少年が見えた。金茶色の髪をした、すらりと背の高い少年だ。何やら駕篭が足下に置かれていたので、ここで働いているのだろうが、あまりその様が似合わないように思えた。彼は私の姿に気づくと、明らかに不審そうな顔をした。

 無理もない。私は苦笑する。どう見ても私の風体は草臥れた旅装束の怪しい者で、しかも帯剣している。こんな村では帯剣している人間は警邏の者しかいないようで、私が背に負った剣を見るだけで怯えたような顔をする。ところが、少年は私が背負っている物にちらりと視線を寄せたものの、怯んだ様子は見せなかった。

 私はなるべく人好きする笑顔を浮かべながら、その少年に話しかけた。
「君は、このリンゴ園の人かな?」
「……そうですけど」
 ぶっきらぼうな返事が返って来たが、追い返す気は無いらしい。向き直って続けた。

「商談なら父にして下さい。家にいますから」
 どうやら、行商人だと思ったらしい。会話を円滑にする為の笑顔は、客に媚びを売る表情に見えたようだ。
「残念だけど、商談じゃないんだ。──失踪した女の子について聞きたくて」
「……あんたに関係ないでしょう」
 どうやら、少女の話はこの少年に取っては禁句だったらしい。途端に目を険しくして睨め付けてきた。大人しそうな、と思ったが意外に喧嘩っ早そうだ。それとも気が立っているだけなのか。いきなり『あんた』に格下げとなってしまった。

「君が、その……居なくなった子の、ご家族?」
「……聞いてどうするんですか」
 少年は警戒を強めて、低く問い返してきた。刺々しい口調も雰囲気も、これ以上触れるなと如実に物語っていたが、私とて諦めるわけにはいかない。

「私はその、失踪の原因を探っている者だ。出来る事なら詳しく教えて欲しい」
「……」
 少年は、少し考えるような顔をした。あともう一押し要るか。
「いなくなった子……リシリーと言ったね。彼女を助けることも出来るかもしれない」
「……」
 深く思案する表情で黙り込んだ少年の返答を待ちながら、ふと失踪した少女を語る農婦のことを思い出した。彼女だけではない。話した人間全てに共通する、もうどうしようもないと全てを受け入れている、その様子を。

「君も、諦めているのか?」
「諦めてない!」
 とっさに言い返した少年は、その一瞬後、しまったとでも言うように顔をしかめて舌打ちした。
「それじゃあ、君はまだ探しているんだね?」
「……俺だけじゃない。親父だって諦めてない」
 私から視線を外してそう言うと、足下に置かれた駕篭を持ち上げた。再び私を見た時、少年の目には未だに警戒心があったが、同時に縋るような色も見て取れた。

「話だけは聞く事にする。……助かる可能性がゼロじゃないなら、聞く価値はあるから」
 まるで、言い聞かせるように言って、私を促した。
「狭い家ですけど、どうぞ」



 こぢんまりとした家の中には、確かに少女がいたのだろうという痕跡が残されていた。小花柄のカーテンと揃いのテーブルクロス。揺り椅子と、編みかけのレース編み。活けられた花は新しいものだったから、誰かが生け直したのかもしれない。そのどれもが男所帯にはあまり似つかわしくなかった。どことなく、まめまめしそうな少女の姿が見えるようで微笑ましく、それでいて痛々しかった。

「すみません、何分女手がないものですから、汚くて……」
 とにこにこ笑いながら応対してきたのは少年の父親だ。息子はあんなに気むずかしい顔をしていたから、父親もそれに似た厳格さがあるのかと思ったが、そうでも無いらしい。穏やかで、気持ちの良い笑顔だ。

「いえ、そんな事はありませんよ」
 事実、そうだったので私は首を振った。驚くほど整然としていて、これは意外だった。
「立ち話も何ですから、お座り下さい」
 席を勧められて、私は素直に失礼しますと腰を下ろした。相対する形で父親が席に着き、少年がタイミング良くお茶を出してきた。

「何もおもてなし出来なくて、申し訳ない」
「いえ、お構いなく。お話を聞いたらすぐにお暇しますので」
「リシリーの事でいらしたとか?」
 ずばりと単刀直入に切り出された。どう話を持って行くべきか懸念していたが、その問題は解消された。あまり似てない親子だと思ったが、回りくどいところがないのはそっくりだ。おまけに、この父親も私が帯剣していることにさほど興味を示さなかった。

「……ええ、そうです。正確には、これまでの失踪事件も含めて、調べています」
「やはり、ラーシエリィ以外の所でもこのような事件が?」
「起きています。必ず、三年ごとの失踪です。この地域一帯は……いえ、はっきり申し上げますと元・ラーシエリィ伯爵領では、そうです」
 私はきっぱりとそう言って、振る舞われたお茶に手を付けた。素朴な陶器のカップに満たされた紅茶からは、馨しい香りがする。

「あなたは……軍の方なのでしょうか?」
 少年──エセルと名乗った少年の父親は、そのような質問をしてきた。私はそれには答えず、首に吊した鎖をたぐり寄せ、取り外すとテーブルの上に置いた。コトリ、と軽い音と鎖が擦れる音。私が手を離すと、二人の視線がそれに集中した。

「……十字架……では、あなたは……」
「はい。悪魔祓師
[エクソシスト]を、生業にしています。名はルキウス・エルドディート。
 今回の事件を含め、この一帯の失踪事件は我々の管轄と判断しましたので、調査に来ております」
 私が言うと、親子は顔を見合わせた。エセルの方が口を開いた。

「何故今頃になって、なんですか。事件は、俺が生まれる前から起きているんですが」
「……申し訳、ありません。何分我々には制約が多く、絶対的な人数も足りないが現状です。私個人でこの事件を長く調査しておりましたが、確かな確証は無かったものですから」
「と、言うと?」
「誰も、消えた現場を見たわけではないので、突発的な失踪と判断されていたのです。故に、悪魔、吸血鬼……その他諸々による干渉だと、証拠づけるものがなかった……」
 自分たちの無力さをさらけ出す事は、大変な苦痛だった。だが、黙っていても始まらない。私は二人を見据えて、言った。

「ですが、今回は失踪の現場を見たと聞き及んでおります」
「そうでしたか……」
 父親は長い息を吐いてからそういうと、息子に視線を向けた。
「それでしたら、エセルに聞いた方が良いでしょう。実際、消えた所を見たのは息子だけですからな。
 エセル、古城まで案内して差し上げなさい」
「わかった」
 父親の言葉を受けて、エセルはすぐさま反応した。外套を羽織ると私を見て、

「ここから一時間ほどかかります。……丘の上ですから、荷物持って行くと疲れると思いますよ」
「お気遣い、ありがとう。でもこれは私の仕事道具だから、簡単に手放せないんです」
 そう返すと、少年はそんなもんか、という風に頷いた。
 そうして、私は再び古城へと向かったのだった。







 ルキウス、と名乗った男は、年の頃で言うと二十代の半ばくらいに見えた。淡い金髪は不揃いな長さで、軽くうなじで纏めているだけだ。悪魔祓師と言えば、正教会
[オルト・ドクス]の中でも結構な地位であり、その人数の少なさ故に神聖視されている。人外のモノ、主に悪魔などが原因で起こる怪異現象を鎮め、祓う巡回神父だと聞いた事がある。

 これになるのは難しいらしいが、俺にもその実態はよく分からない。そもそも正教会の存在するヴェルトリート王国は、俺たちの村からは遥か北西にあり、噂が流れるのみの遠い国だ。
 だが、黒い僧服
[カソック]を身に纏い、正式な悪魔祓師だと証明する銀の十字架を持っているのが彼らである、と皆知っている。

 しかし、ルキウスはどこからどう見ても普通の旅人に見えた。荒事を専門にしているような雰囲気もなく、剣を扱うようにも見えなかった。整った顔立ちはどことなく品があって、悪魔祓師というよりは吟遊詩人の様だ。無論、噂の銀十字は見たが、悪魔祓師など滅多に見るものでもないから、騙るのは容易かもしれない。
 ルキウスを先導しながら、俺はそんな事を考えた。

 ラーシエリィの古城は、村から北東へ一時間程度の道のりである。小高い丘の頂上には、規模は小さいものの高い木々が密集する森になっており、古城の高い尖塔が数本、見える程度である。
 元は森では無かったのだが、昔の人間が死者への弔いとして植えたらしい。人は土へ還り、その魂は木々によって高みに導かれ、神の庭に届くという。

「それにしても、この辺はあまり変わらないものだね」
 不意に、ルキウスがそんな事を言った。
 そういえば、個人的にこの事件を調べていると言っていた。何度かこの場所にも立ち寄っていたのだろう。

「この辺は詳しいのですか?」
「まぁ、そうだね。詳しい方だろう。……思えば、昔から、此処は時間の流れが違うような場所だった」
 曖昧な言い方で返答をし、何処か懐かしげな眼でラーシエリィの古城を見上げたルキウスは、若いと思ったが妙に老成していて、見た目よりは多少、年を食ってるのかもしれなかった。

「ヴェルトリートなんかに居るとその事がよく分かる。あそこは忙しいから」
「……都会は嫌いなんですか?」
「いや、そう言うわけではないけれど、私の生まれた所も田舎だったのでね。やはりこういう何もない風景の方が落ち着くんだよ」
「そうですか……」

 俺は適当な相槌を打ちながら、前へと向き直る。どうも、初対面の人間との会話は上手く出来ない。リシリーならば臆することなく色んな事を訊いたりするのだろうが。
 小さくため息を吐きながら、無言で目的の場所に向かった。







 蔦が這う古城は、私の記憶にあるものよりも随分と寂れた感じがした。無論、生活する者も手入れする者も居るわけではないのだから、当然と言えば当然だろう。

 エセルに案内されて、暗い城の中を歩く。礼拝堂の扉を開き、少年は指を指した。
「ここで、リシリーは突然消えました」
 エセルは厳しい顔でそう言い、食い入るように聖母と御子のステンドグラスを見上げた。そこに少女の存在の痕跡を見いだそうとしているようにも、少しの慈悲もなかった彼らへの皮肉を込めているようにも見えた。

 私は礼拝堂の中へ足を踏み入れると、肌が泡立つような寒気を覚えた。私はあまり勘が良い方とは言えなかったが、その私でも分かるほどの気配が此処には在る。

 まだ、いる。
 私はそう確信した。そう、かの吸血鬼は未だに存在する──

 不意に、昔聞いた哄笑が蘇ってきて、眩暈がする思いだった。忘れようにも、忘れられない記憶。それは、紛れもない怒りと恐怖。
 いつの間にか、手が白くなるほど拳を握りしめていて、私はゆっくりと手を解した。血の気を失った冷たい手に、汗をかいているのに気づいて、息を吐いた。

「……どうかしました?」
 どこか気遣わしげな声で、エセルが問うてきた。この少年は感情が表に出にくい質らしい。無愛想なのではなく不器用なのかもしれない。
「いや、何でもない。……やはり、ここには何かがいるね……」
 そう言うと、少年は顔を引き締めた。こくりと喉を鳴らして、私の言葉の続きを待っている。

「一度、引き返した方が良いだろう。気配が残ってはいるけれど、移動しているようだ。気配の源がない」
「何が、居るんですか」
 踵を返す私に、少年が訊いてきた。分からないから訊くというよりは、確認を取っているように聞こえた。

「伝承通り、吸血鬼だよ」
 私はむしろ淡々と、そう告げた。







2



 ──わたしは、大丈夫だから。心配しないで。

 気丈にも微笑んで、送り出してくれた。身重なのに、初めて授かった子供を産むという大業を控えているのに、どうしてこんなに穏やかにほほえんでいられるんだろう……とぼんやり思った。

 長い間ずっと、一人だった。これからもずっと一人だろうなという予感めいたものを感じながら、一日一日を無駄に生きていた頃……何故生きているのかを模索している頃、彼女に会った。

 その時、息の根を止めようとやってきた刺客たちから、命からがら逃げていた。傷は深かったけれど、簡単には死なないように出来ていたから、動けたようなものだ。それでも、手足の感覚も無くなり、動けなくなった。このまま冷たくなって、死ぬのだろうかと覚悟を決めていた時だった。

 夜中に、熱にあえぐ弟の為に解熱剤となる薬草を摘みに来ていた──と後で聞いた──彼女は、驚いたような顔をして立ちつくしていた。長い栗色の髪に、同じ色の瞳。粗末な麻の衣装。刺繍され青い小花が鮮やかで、生き生きと綺麗に見えた。
 そのまま放っておかれても仕方ない状況だろうが、彼女はそうしなかった。直ぐさま別の薬草を摘んで、手当を始めた。驚いたのはこちらのほうで、どうして助けるのかを思わず尋ねた。それに対して彼女は笑った。

 だって、目の前で死にそうな人を見かけたら、助けたいと思うでしょう。私はその方法も知っているのだし。
 彼女の、安心させるような……全てを許すような優しい笑顔を、一生忘れる事はないだろうと思った。
 その時と、同じ笑顔で送り出され──そして、彼女は居なくなった。

 彼女と過ごしたのは、ほんの数年。その数年間には、もう二度と味わう事の出来ない幸せというものが、確かに存在していた。人生の内で、幸せだと意識したことなどなかったが、過ぎ去ってみれば、その数年だけが酷く懐かしく、輝かしく感じた。──幸せになるなんてそんな資格、私には無いのに。

 彼女が消えた原因も、他の多くの少女達が消えた原因も、全て、全て──
 また、哄笑が聞こえる。愚かだと、嘲笑う声。お前のやる事は無駄なのだと、無力さを突きつけるように。首が絞まる。息が詰まる。いっそこのまま、死ねたらどんなにいいだろう──?

「……っ!!」
 声にならない悲鳴を上げて、私は覚醒した。荒い気遣いと共に、頭が殴りつけられたように痛んだ。嫌な汗が背を伝って落ちる。その冷たさに身震いして、何度見たか分からない夢を思い返す。

 いや、夢ではないのだろう。あれらは全て事実で、多くの人間を犠牲にしたのは、私なのだから。分かっていても、その罪を認めたくない自分がいる。それに対する罪悪感がまたのしかかる。この連鎖を断ち切る時が来たというのに、私はまだ怯えている。

 そうだ、怯えている。怒りもあるけれど、それ以上に私は恐れている。また一つ罪を重ねることを。

 傍らに立てかけた剣を引き寄せ、抱き込んだ。剣を握りしめる右手は震えていたが、左手で押さえ込む。
 それで、身体の震えが止まるわけでもなかったが、そうせずには居られなかった。

 きつく眼を閉じて祈った。決意が鈍らぬように。確実に終止符を打てるように。……そして罪を恐れぬように。



 日が昇る前に、私は身支度を終えて、背負っていた剣を腰に帯びた。巻き付けていた布は取り払い、鞘が露わになった。黒い革に銀で装飾されていて、まるで飾り物のようなこれを、私は何度も抜いた事がある。お守りのように首に銀十字を下げる。私の衣装は、この村に来た時の旅装ではなく、黒い僧服だ。
 気分的なものだが、これを身に纏うと、雑念が消える。──自分を殺せる。

 そのまま静かに階段を下り、家を出ようとした。私はエセルの父親の好意に甘えて、一晩泊めさせて貰った。礼を言わずに出て行くのは忍びないが、あまり長居しても迷惑になるだけだ。好意的な彼らに対して、失礼かもしれないが、仕方がない。

「……悪魔祓師ってのは、朝早くから大変なんですね」
 吃驚した。私は声の主──エセルの方を向いて、ため息を吐いた。

「驚いた……誰にも気づかれないと思ったんだけどね」
「親父も気付いてますよ」
 さらりと言われて、苦笑した。これでも人の気配を読む事には慣れていたはずなのだが。

「君も、リンゴ園で働くには惜しい子だね。ちょっと訓練すれば立派に悪魔祓師になれるよ」
「……別になりたくないです」
 少し考えてから、エセルはそう答えた。

「賢明だね」
「連れて行ってくれませんか」
 その申し出は、私には突拍子もないことに聞こえた。数度瞬いて、少年の顔をまじまじと見返したが、エセルは落ち着いたもので、全てを決めきったような顔をしていた。

「……私が、何をしにいくか、知っているだろう?」
「勿論です。リシリーを助けに行くんでしょう」
 あっさりと言った少年を、私は再び見返すと、少年の腰に一振りの剣が吊ってあった。

「……エセル……君、剣を使えるのか」
 そう言いながら、少年の第一印象を思い返していた。何処か他人に気を許すことのないような、凛とした姿勢。農夫というよりは騎士のような──

「はい。親父に仕込まれました。多分みんな、俺が剣を使えることを知らないと思います」
「失礼だが、腕前は……」
「それは私が保証します」
 と口を挟んできたのは当の父親だ。全く、いつの間に……。意表を突いてくる親子である。

「これがどれくらい役に立つかは分かりませんが、少なくとも自分の身を守れる程度には、仕込んでおりますからな。
 リシリーは、うちの娘です。自分の身内くらいは、自分で取り戻したい??これがそう言いましたからな」
「余計なこと言うなよ」
 すかさず釘を刺したエセルの表情が無性に子供っぽくて、微笑ましかった。

「と言うわけです。好きにお使い下さい」
「では、遠慮無くお借り致します。正直、一人では心許なかったので助かります」
 にこにこと、こんな時でも柔和な笑顔を崩さない父親に、私は笑いかけて、ふと思った。

「あなた方は……本当に生粋の農夫の方なのですか?」
 問うと、父親の方が悪戯っぽく笑んだ。
「私は若い頃、近くの領主に仕官しておりましてな。騎士として働いておったのですよ」



「親父は、内紛で足を悪くして騎士を引退したと聞いてます。俺に剣を仕込んだ理由は知りませんけど……」
 エセルは、鞘から少しだけ刀身を抜いて、そう言った。曇りのない刀身はそのまま、決意の揺らぎそうにもない少年の瞳にも似ていて、清々しい気持ちになった。比べて私は、迷ってばかりだなと自嘲の笑みを零した。

「でも……吸血鬼は本当に現れるんですか?」
 首を傾げて訊いてくる少年に、私は軽く笑いかけた。
「現れるよ」
「呼ぶ方法でもあるんですか?」
「この場所に私がいる。だから来る」
 断言した私を、少年は不思議そうに見ているが、敢えて私は全てを語らず少年を促した。

「ここからは別行動だ。君は大切な人を見つけてくると良い。私は囮になるから」
「…………大切って……それはそうなんですけど……」
 それまで特に何の感情も見せなかったのに、いきなり動揺し出したエセルを見て、私はこんな時だが、吹き出してしまった。
「素直に認めた方が良いよ。多分楽になる。
 ……それにしても、リシリーという子は幸せだね。こんなに想ってくれる人がいるんだから」
「……」
 私は真剣だったのだが、エセルはからかいだと受け取ったらしい。軽く睨み付けてから私と反対方向に歩き始めた。

「健闘を祈るよ」
 少年の背にそう声を掛けると、少しだけ振り返って頷いた。毎日この城に出向いていたのか、勝手知ったる足取りで階段を登り始めた。一階は捜索済みというわけか。

 さて、エセルが捜索しやすいように、私も動かねばならない。恐らく吸血鬼は私が目当てだろうから、なるべくエセルと離れた方がいいだろう。かといって離れすぎるのも良くないか……。

 この城の造りならよく知っているが、私の知る城は廃墟では無かったから崩れた道もあるかもしれない。今更ながら自分の下準備の甘さを呪ったが、仕方ない。
 歩き始めるなり、ざわりと空気が動いた。それが、私の肩口を通っては戻ってくる。まるで、私を誘うかのように。
 誘わなくても出向くつもりだが、罠なのだろうか? それこそ、今更だ。
 私は剣の柄を握りしめて、誘われるままに歩を進めた。

 油断無く辺りを見回し、足下に気をつける。意外と整然とした姿を保っているのが有り難いと言えば有り難い。逆に薄気味悪いような気がしなくもないが……。慎重に過ぎる自分に苦笑する。いつになく緊張しているのがはっきりと分かる。

 西側の通路を抜け、大広間に出る。深い赤の絨毯は既に見る影もない。朝方のぼんやりとした白い光も、木々に遮られてか、しっかりとは届いていない。それでも、窓から光が漏れているのが分かった。

 広く取られた壇上。大きな窓の前に立った人物を見て、私は声を失った。
「……ルシア……」







 ルキウスと分かれた俺は二階へと向かった。リシリーが消えてからの一週間は、一階を調べたのだ。瓦礫で通れない所を除いてはほぼ確かめたから、おそらく上の階にいるだろう。

 ……俺は、百パーセント、リシリーが生き残っていると断言出来ない。そりゃ、生きてたら良いと思う。切に願っている。だけど、願うだけでリシリーが助かるなら、とっくに家に戻ってきている。もし──考えたくもないが──リシリーがもう既にこの世の人ではないとしても、彼女の遺体を見るまで、諦めることなど出来ない。そもそもリシリーがこんな目にあってしまった原因は、俺にある。料理の味がどうとか、そんなこと、気にしなければ良かったのだ。そのことを謝りたかった。

 どこかにいるという気持ちと、もう既にいないのではないかという気持ちが鬩ぎ合って、焦るばかりだ。恐ろしさを感じる余裕も、今の俺には無かった。
 いつの間にか歩調も早くなって、思わず駆けだしてしまいそうになったその時、白い影が俺の目の前を通った。

「待て!」
 俺は衝動的に叫んで白い影を追った。勢い余って瓦礫に足を取られたが、白い影が廊下の角を曲がったのが見えた。剣を抜いて、追いかける。この剣はルキウスの予備の剣を貸して貰った。普通の鋼の剣では役に立たないらしい。

 白い影は人の形をしていたが、人が駆けているわけではないとすぐに分かった。走ったら当然揺れるはずの身体は全く動かず、すぅっと滑るような滑らかな動きで、白い布だけがひらひらと靡いた。

 音もなく扉が開き、ぼんやりと明かりが漏れた。俺がその扉に辿りついた時、階段の下、大きな窓の前に広く取られた壇上に白い人影が立っていて、まっすぐと黒服の男──ルキウスを見つめた。
 俺は白い人影に近づこうと足を出した所で、ルキウスがルシア、と呼んだ。驚愕した表情。

「……何故……」
 と、ルキウスが漏らすのが聞こえた。すると、影がくすりと笑った。聞き覚えのある声。

「リシリー!」
 俺の声に反応して、影がこちらを向いた。その顔立ちは、正しくリシリーだったが、俺を見留めてにぃと笑んだ表情は、彼女のものではない。
「エセル、駄目だ!!」
 俺は斬りかかったが、ルキウスの制止の声が入って、慌てて剣を引いた。白い少女はすぅっと身を引いて、面白そうに笑った。

「残念。もう少しだったのだが」
 言うと、リシリーの姿をした何者かはルキウスに視線を移した。
「やはり、お前は目障りだったのかもな。でも、戻ってきてくれて嬉しい」
「……私は、戻るつもりで来たわけではない」
 ルキウスが堅い声でそう返し、剣を抜いた。

「私は、あなたと決別するために来たのだから」
 その台詞を聞いて、笑った。先ほどの、不敵な笑みではない。恐ろしく場違いな、柔らかい笑みだ。
「それにしては、恐ろしく遅い。百年ぶりかな? 我が息子よ」







「……おそらく、それくらいの時間は過ぎたでしょうね」
 私はそう返しながら、じりじりと間合いを詰める。あの少女を、エセルはリシリーと呼んだ。私がよく知る人に似た少女は、既に吸血鬼の餌食となったのだろうか。彼らに血を吸われた人間が吸血鬼化することは稀だが、血を吸った吸血鬼が純血であればある程その可能性は高くなる。完全に人格を移すことさえ可能なのだ。

 ……この少女を乗っ取ったにしては、気配が希薄だ。ならば、まだ助かる余地はある。先ほどエセルを制止したのも、少女自体は実体を持っていることが分かったからだ。

 ──我が息子。
 そう呼ばれることは覚悟の上だったが、実際に言われるとずしりとくる。エセルなど、珍しく驚愕の表情も露わだ。

「お前がぐずぐずしている間に、何人の人間が死んだだろう。今更その罪を償おうとでも?」
「今更ですが、その通りですよ」
 そう返すと、少女は高らかに笑った。澄んだ少女の声だが、私が最後に聞いた哄笑とそっくりだ。
 汗で滑りそうな剣の柄を握り直し、視線は少女から外さない。

「やはり、愚かだ。お前は」
「一体、誰なんだ! リシリーを返せ!」
 エセルがそう大声を張り上げて、誰何した。少女はすっと目を細めると、ちらりと私に視線を寄越した。

「何も話してないのか。……まぁ良い。
 お前の威勢の良さに免じて名乗ってやろう。私の名前はイゾルデ。イゾルデ・ギーナ・フォン・ラーシエリィ」
 少女──イゾルデの名乗りに、エセルが小さくラーシエリィって……、と呟くのが聞こえた。

「そう。かつてはラーシエリィ伯爵夫人と呼ばれていた」
「吸血鬼は……伯爵の方じゃなかったのか?」
 少年の問い掛けに、イゾルデは再び笑った。愉悦の高笑いの中に、憎悪の色が混ざる。若々しい少女の見た目に似合わぬ凄味を帯びた両の目……父の狂気を移したかのような。

「あの男の狂い様と来たら……!! あの男の方が余程吸血鬼のようだったな。私が吸血鬼だと知しらず妻にして、正体を知ったら殺そうとした。
 あの男を吸血鬼に仕立て上げたのはちょっとした復讐」
 少女──イゾルデは歌うようにそう言って、軽い足取りで階段を下りると、私を見た。この吸血鬼に、首筋を抉られ死を下されている瞬間、私を見た父の目が、脳に焼き付いて離れない。限界まで見開かれた、血走った目。父は、まだ幼かった私に向かって手を伸ばしたが、恐ろしくて私は逃げた──どうやって城を抜けたかも分からない。背中から哄笑が追ってくるような気がしたし、それでなくともあちこちに火の手が上がっていて、立ち止まる事も出来ず力の続く限り走った。

「賭をしよう」
 すぐ近くに、少女の顔があって、驚いた。そんなに接近を許したつもりなど無かったのに。
「……賭?」

「そう。この城のどこかに、私の身体がある。
 それを見つけられたら、お前達の勝ち。見つけられなかったら私の勝ちだ」
 少女は私を見上げ、つと指を動かして私の頬に触れた。

「随分な譲歩だと思うがな」
 私は半歩身を引いて、言い放つ。
「私が勝ったらあなたの命を貰う」
「いいだろう。くれてやる。だから私もこの命を貰う。それが公平なルールというものだ」
 胸に手を当てて言い放ち、ひらりと身を翻した。階段を登る少女の背をしばし見送って、呆然と突っ立ったままのエセルを促した。

「行くよ。時間はないんだから」
「どういうことだよ、息子って……それに」
「話すよ。あまり、いい話ではないけれどね……」







 いい話ではない、と前置きしてルキウスが語ったのはラーシエリィ伯と吸血鬼……イゾルデとか名乗ったっけ……の出会いからだった。

 狩りの途中で怪我を負ったラーシエリィ伯を助けた美しい娘を妻として領地に迎えたこと。後に子供をもうけたこと。幸せに見えた家庭に亀裂が入ったのはイゾルデがラーシエリィ伯の血を求めた時だ。
 吸血鬼を妻と呼び、その化け物との間に成した子を、息子と呼んでいた事に激しい嫌悪と拒絶を覚えた彼は、イゾルデを牢に閉じこめる事にした。子も部屋に押し込められ、そこから出る事を許されなかった。

 妻を病で亡くしたと葬式まで行い、後添えに娘を召喚したものの、既に精神に異常を来していた彼に心を添わす娘はいなかった。それどころか心を許さないことに怒ったラーシエリィ伯の命で、イゾルデの血の渇きを癒す役割を負った。

 娘が居なくなりすぎることに不審を覚えた領民達が、城へ乗り込んで来たのはイゾルデの葬式から五年後。混乱の中どうやってか抜け出したイゾルデが、ラーシエリィ伯を殺そうとしていたのに背を向けて、逃げ出したから後は分からない、と淡々と要点だけを話した。

「閉じこめられっぱなしだった割には詳しいですね」
「表向き、そんな事実は無かったからね。父親が心の病気になってしまった、と理解されていた。だから侍女達に聞いた話を元に私が考えたことだ。でも、ほぼ間違いはないと思っている」
「……本当に、吸血鬼の子……なんですか」
「……百年以上、生きてるからね。それはもう否定出来ないな」

 俺にしてみれば、百年など実感が湧かない。俺は百年もしたら死んでいるだろうが、ルキウスには俺が死んだ後にも生が続いている。周りにいた人たちは、彼よりも早く生きて、逝ってしまう。親しくなっても、必ず彼より先に消えてしまう。それは、若くして亡くなってしまう人間と同じくらい淋しいことではないだろうか……。

 話しながら、ルキウスは扉を開き、塔の階段をひたすら登った。当てがあるのか、迷い無くここを選んだのだ。
「何か当てでもあるんですか?」
「ここが、その塔だからね」
 閉じこめられていた牢というのは、この塔らしい。牢というから、無条件で地下なのかと思っていた。

 階段を登る間、沈黙が落ちた。沈黙すると、この城の静かさがよく分かる。森の中では風の声が満ちていたのに、城の内部では一切聞こえなかった。耳鳴りがするほどの静寂とは、こんな状態をいうのだろう。
 そんな城で、百年以上棲み続けたイゾルデは、一体何を考えているんだろう……仮にも憎い相手の城なのに。それに、ラーシエリィ伯が死んでからも少女を攫い続けた理由もよくわからない。

 ルキウスの話を聞いていると、イゾルデにも辛い境遇があったのだと同情も覚えるが……覚えるが、それで多くの少女たちの命が失われた事実を、帳消しすることはできない。リシリーが、そのうちの一人に加わったなら、尚更許せない。かつての領民達のように、首級をあげるなりしないと気が収まらない。

 黙って歩いている内に、最上階に着いていた。鉄格子は開きっぱなしで、中には粗末な造りのベッドが一つ、鉄格子の填められた小さな窓が一つ。それが内装の全てで、あとは冷たい石が剥きだしになっている。
 ゆっくりとベッドに近づいて──言葉を失った。

 ベッドに眠っているのは、老婆だった。手入れされていない白髪が、肉のそげ落ちた輪郭を縁取っている。皺だらけでくしゃくしゃになった老婆は、苦しそうな息を漏らして、目を閉じていた。胸の上に重ねた手も細く、皺だらけで骨と皮だけ、という形容がぴったりだ。
 囚人であるにも関わらず、その老婆の纏うドレスは深い赤色の豪奢なもの。俺は服飾に詳しいわけではないが、俺たち庶民が一生働いたって、買えるかどうか分からないくらいの値段がするに違いない。

「……この人、誰だろう……」
「このドレスに見覚えがある。……イゾルデのものだ」
 ルキウスが小さく囁くと、老婆が目を開いた。驚いた表情で俺たちを見て、震える手を俺の方に伸ばした。
「──……」
 老婆の唇が動いて何かを呟いたが、聞こえなかった。何を言ったのかが気になって首を傾げると、もう一度老婆が何か呟いて、指が伸びて俺の頬を掠めた。ルキウスが俺の腕を引いたのだ。近づきすぎるなということだろう。

 この老婆がイゾルデ……なのだろうか? あの深い妄執に取り込まれた吸血鬼なのだろうか? それにしては……生気が薄いような……。
「ルキウスさん」
 俺が呼びかけると、彼も戸惑った表情で俺を見た。

「イゾルデの気配はあるのだが……何か違うな」
 この老婆も、リシリーのようにイゾルデに身体を乗っ取られたのか? ……違うな。動けない老婆を乗っ取っても仕方ない。
 俺たちがこの老婆の正体を考えあぐねていると、細い手が伸びて俺の手首を掴んだ。

「エセル!」
 ルキウスが剣を抜いた。俺は驚いて振り払おうとして──やめた。当然、枯れた手はかさかさとしているだろうし、見た目にも肌は荒れている。それなのに、俺の手首を掴んでいる手の感触はなめらかだった。

 空いた手でルキウスを制止して、手首を掴んだ老婆の手を確かめる。確かに見た目には老女の指だが、見た目通りではないのが、すぐに分かった。

「……リシリー?」
 俺が確かめるように問うと、老婆の顔が歪んだ。今にも泣きそうな表情で老女は何度も頷いて、俺の言葉を肯定した。
 すると突然、ルキウスが身を翻して牢を飛び出た。

「どこ行くんですか!?」
「君は彼女を見てなさい!」
 珍しく強い調子で言い捨ててルキウスは駆けていった。






3.



 私は、退屈だったのだ。

 それでなくとも持て余すほどの時間が私にはあって、その時間を費やす何かが無いだろうかと、ずっと探していたような気がする。人間との、気まぐれな恋も数え切れないほどした。けれど最後には飽きて殺した。
 その時の男たちは私を恐怖の対象としてしか見ていなかった。それまでの甘い囁きも愛撫も、全て忘れて私を化け物と呼んだ。
 当たり前だ。生まれた時から私は吸血鬼で、人間の敵。化け物なのだ。人間なんてものは、私の退屈しのぎの玩具でしかない。

 ラーシエリィ伯爵を名乗った男も、そのつもりだった。血の匂いに導かれて、怪我を負ったあの男に出会った。そのまま血を吸って、殺してしまっても良かったが、いつもの気まぐれが頭をもたげて、介抱してやった。私が知るどの男よりも品が良くて、人間にしては顔貌が美しかった。その男が私に夢中になる様を見るのも面白いと思った、ただそれだけの理由。

 妻に、と望まれたのも悪くはなかった。何せ、私は全てに飽きていたから。男の申し出を受けてみても良いと思った。新しい遊びのつもりで。
 私にとっては、城に暮らした時間などほんの僅かのこと。それでも、これだけ側にいた人間は初めてだった。

 私に向けられる想いは、情熱的に説き伏せるものではなく、静かで穏やかで水が沁みていくようで。口が多く薄っぺらな愛の言葉ではなく、真摯な一言。真っ直ぐな瞳──夢中にさせるはずの男に、いつの間にか囚われていた。

 失いたくなかった。ずっと一緒にいたかった。子を成しても、繋がりが強まったとは思えなかった。
 だって、彼は人間で私を置いて、すぐに逝く。だから、私と同じ存在にしようと考えたのだ。そう、同じになれば離れることもない──
 だが、拒絶された。私があの男を求めれば求めるほど、失っていく。今までの男と同じように、私を化け物と呼んで殺そうとする。

 そして、城が火に包まれ、混乱が起きたあの日、領民の手にかかる前にあの男を手に入れようと、彼の元へ向かった。丁度、眠りに落ちた息子の首に、手をかけた所に出くわした。私と彼が、愛し合ったというその証である、息子に。
 衝動的に男の首に噛みついた。息子は逃げたが、男はそれを追おうとして、手にした剣で私を斬り捨てた。そう、おそらくは殺すつもりで。

 人であれば死んでいただろうが、首を落とさねば私を斃せない。驚愕に引きつった男の顔を見て、愚かだと思った。
 吸血鬼だと知っていて、その斃し方一つ知らなかった男を。
 吸血鬼だと分かっていて、人間などを愛した私を。

 気づけば私は笑っていた。可笑しくて、可笑しくて仕方がなかった。その間に男は息子を追って出て行った。私はそれに着いてゆき、礼拝堂で、彼は息子の姿を見失った。
 逃げ場を失った男は、ステンドグラスを背にして私に向き直った。私を見つめた男の目は、既に熱に浮かされたように焦点を失っていたが、それでも私を見てくれたことには変わりはない。婉然と微笑んでみせた。

 男が化け物、と掠れた声で叫び、剣を構えた。真っ直ぐに走り込こんできて、心臓を貫かれるのが分かった。意識を失う寸前、彼を抱きしめる事が出来たろうか?
 私の後ろで大きな音がして扉が開いた。それきり、視界は真っ黒になった。



 ──しばらくして、意識の戻った私は、まだ火の燃えさかる城の中にいた。

 刺さったはずの剣は無く、ただ気だるい倦怠感があるだけだ。身を起こし、見上げた先に男の首があった。視線を落とすと、首のない一つの死体。心臓に突き立った一本の剣。間違いなく、私の心臓を貫いたものと同じだ。

 人間のくせに、まるで吸血鬼の様な死に様。
 また、笑いが込み上げてきた。愚か、愚か、愚か! 何もかもが!

「……やっと来たな。ルキウス?」
 礼拝堂の扉を開いた息子は、硬い顔で私を睨め付けた。







 礼拝堂を選んだ理由は特にない。エセルからリシリーが消えたと言ったのはこの場所であったと聞いたから、というのも少しあるが、殆ど直感だ。
 ステンドグラスに向けていた身体をこちらに向けて笑った少女は、ルシアに似ていた。私の、これまでの人生の中で、唯一愛した女
[ひと]──

「……どうしてその姿を?」
「愛らしいだろう? 人にしては美しい。どうだ? 私の身体は見つかったか?」
「ええ。見つけました。老婆の姿をしたリシリーをね。ならば、あなたのその姿も嘘だ」
「嘘と言えるかな? 人の身体を乗っ取ることなど、簡単だからな」
「嘘だ!」
 私は断言して、剣を構えた。そのまま一気にイゾルデとの距離を詰め、剣を振るった。身をかわされた。下から上へと振り上げる。半歩飛び退き、少女を捉えることは出来なかった。返す刃でもう一撃。揺れる髪の一房が舞った。

「動きが鈍いな。そんなにこの姿は斬りづらいか?」
「五月蠅い!」
 私は吐き捨てて、剣を握り直す。この為に聖別した銀の剣で、予備のものはエセルに貸した。

 魔物は、銀を恐れる。吸血鬼の場合は普通の人を斬るのと同じになる。皮肉な事に、人間の血の混ざる私には銀への耐性があるため、万が一剣を奪われても死ぬ事はないだろう。

 私が斬りつけても、イゾルデは抵抗することなくただ身をかわすだけ。それだけに、息が上がるのは私の方だ。
「何を逃げる!」
「私の元へ戻れ」
 むしろ、静かな口調で、イゾルデは言った。駄目だ、耳を貸してはいけない。
「断る!」

 すっと、彼女の顔に表情が無くなった。私の手を取ろうと、イゾルデの手が伸びる。剣を奪われると瞬間的に思い、利き腕を抱き込むようにして身を引いた。もう一度身構えようとした所で、イゾルデの手が私の頬に触れた。まただ……またしても私は彼女の接近を許してしまった。

「人間など、すぐに消えゆくもの。ならば私の側に居ろ。お前も、辛い思いなどしなくて済むだろう」
 蘇るのは、いつもルシアの笑顔だけだ。最後に見たあの笑顔。彼女と、生まれるはずだった子供と、穏やかな家庭を築くという、儚くて美しい幻想──追っ手のかかっていた私には決して望めなかったもの。最初から期待しなければ傷つくこともなく、ルシアも死ぬことはなく、他の少女たちも──

「……」
「私には、お前だけ。お前が愛していた女の姿で私はいよう。それで、問題はないだろう?」
 言って、優しく髪を撫でる。そのまま指に絡めて口付ける。その行為を大人しく受け入れながら、呟いた。

「本当に、あなたはそれで満足なのか?」
「当たり前だ」
「私は、嫌だ。……例えその身体が本当にルシアのものだとしても、だ」
 手を振り払い、剣を正眼に構える。

「お前はルシアではない。ルシアは帰ってこない!」
 心臓を狙って、剣を繰り出す。その切っ先を、イゾルデは慌てて逃れたが、私はそのままイゾルデを突き飛ばし馬乗りになる。足で腕を押さえつけて、身動き出来ないように首筋に剣を当てた。

「……母を手に掛けるか? また一つ、お前に罪が増えるぞ」
「罪が増えることを恐れて、あなたの元に戻れば、私は逃げたことになる」
 私が見た夢の代償に、何人もの少女の夢と将来を奪った──その罪から目を背けることになる。

「私はもう、逃げない」
 ゆっくりと、剣を振り上げ、一閃する。
 首が刎ねられ、ごろりと物体のように転がった。剣を振り下ろしたとき、断罪される囚人のように目を閉じた彼女の表情は、多分忘れられないだろう。

 やがて、少女の身体は脆く砂のように崩れ落ちた。骨さえも残らず、まるで何もなかったかのようだ。
 からん、と軽い音がして、私の手から剣が滑り落ちたことが知れた。深いため息をついて、その場に崩れ落ちる。

 同時に、涙が流れた。何に対する涙なのか自分でも分からなかったが、少しだけ泣いた。







 思えば、わたしはいつも居場所を探していた。
 うすうすどころか、最初から義理の娘だと宣告されていたわたしにとって、この家はわたしの居場所ではないと幼い頃から知っていた。

 だからだろう。鳥を見ると彼らは居場所を探して飛んでいるのではないか、それとも居場所を目指して飛んでいるのか、とそんなことばかりを考えていた。風が吹けば、風の故郷はどこだろうとか、月を見れば、独りでいるほうが楽でいられるのだろうかとか。そんなことを考えていると、必ずわたしの名前が呼ばれる。まるで、わたしの思考が読めるみたいに。

 振り向くと、滅多に表情を見せない少年が、心配そうな顔でわたしを見る。その顔を見るたび、とても後ろめたい気持ちになる。ずっと一緒にいるのに、仲が良いのに、……家族なのに。いつもここから抜け出すことばかり考えている私は、本当に情けない人間だと。

 今から思えば、本当に下らないことで逃げてばかり。だから、吸血鬼に攫われたりする。
 居場所がないということは、とても寂しいこと。独りでいるということは、とても哀しいこと。だから、一緒に居て欲しい。同じ境遇のあなたなら、わかるはずでしょう?

 彼女はそう言ってわたしの手を取った。ひんやりと冷たかったけど、嫌な気持ちはしなかった。これは魔のものだ、逃げなきゃと分かっていても、振り解くことが出来なかった。心の何処かでこの吸血鬼に共感してしまったから。

 でも実際に、あの村から、あの家から引きはがされてみると、いかに自分の考え方が馬鹿だったか、よく分かる。浮いていたかもしれないけれど、わたしは確かにあそこに居たし、家族はいつもわたしの身近にいた。けれど、逃げ出してしまったのはわたしの方。このまま、忘れられて……本当に居場所を失くす。

 嫌だ、と思ったけど、これは逃げ続けた自分への罰なのだ。……ただ、エセルを巻き込めずに済んで良かった。それだけが救いだ。
 ゆったりとした微睡みの中で話し声が聞こえた。一切の音が閉ざされたこの場所で、人の声を聞くとは思わなかった。
 それが女の声でないと分かると、わたしははっきりと覚醒した。しかも、聞き間違いじゃなければ、エセルの声だ。

 ぼんやりとした視界の中で、彼の名前を呼びながら手を伸ばす……誰かに触れた。もう一度確かめようとしたが空を切った。ずっと会いたいと思っていたから、幻聴かもしれない。もう一度、手を伸ばす。身体が思うように動かなくて苦労したが、もう一度誰かに触れた。手首を掴んだ。エセル、と叫ぶ声。

 わたしの手に、誰かが手を重ねた。躊躇うような間の後、懐かしい声で名前を呼ばれた。たまらなく嬉しかった。わたしはこの声を聞いていつもの場所に戻る──
 何度も頷いて、エセルの手を強く握りかえそうとして……意識が薄れた。







 リシリーを助け出してから、二日過ぎたが、リシリーは眠ったままだ。
 もともと白い肌が血の気が失せて青白いくらいで、ぐったりとした身体はわずかな身じろぎさえしない。慌てて医者に診て貰ったら、軽い栄養失調だと言われた。他には命の別状もなく、安堵した。

「……彼女が、リシリー?」
「そうです」
 ルキウスに訊かれて、そう返し、ふと彼の顔を見上げた。ルキウスは熱心にリシリーの顔を見て、首を傾げている。

「どうかしました?」
「いや……リシリーって君の妹?」
「みたいなものです」
 俺は曖昧に答えた。ルキウスは俺とリシリーを見比べ、

「似てないよね?」
「血は繋がってません。養女です。親父が拾ったんです」
「……そうか」
 彼は、そう呟いて俺の肩を叩いた。何かと思っていると、ルキウスがにっこりと笑った。

「彼女を大事にね。……あと、本当に妹だと思ってるのかな、君は?」
 俺は返事をせずに、笑ってやった。するとルキウスは呆気にとられたような顔で俺を見た。

「それはルキウスさんのご想像にお任せします」
「……エセル……君、あまり可愛くない子供だね」
「知ってます」
 俺がそう切り返すと、ルキウスは肩をすくめ、苦笑して部屋を出て行った。

 リシリーが寝ているのを見ていると、古城であったことが夢みたいだ。なんだかぼうっと窓の外を見てたら、綺麗な夕焼けだった。きっと明日も綺麗に晴れるだろう。

「……エセル……」
 急に名前を呼ばれて、振り向いた。リシリーが何故か不思議そうな顔をしている。
「……何でエセルがいるの……」
「は? 何でって……」
 助けたからに決まってる。というか目覚めの第一声がそれって……助け甲斐のない女だな。
 ある意味、リシリーらしいとも言えるのだが……。

「……だってもう会えないんだと思ってて……」
「じゃあ今目の前にいるのは誰なんですかね」
「エセル」
「分かってんなら疑問に思うなよ」
 即答してきたリシリーに、俺は呆れ調子で返した。すると、リシリーはくすくす笑う。それを軽く睨み付けて、

「俺、リシリーに言いたい事があるんだ」
 「……何?」
 きょとんと見上げてきたリシリーに指を突きつけ、言い放つ。

「もう二度と家出なんかごめんだ。次出たら絶対に探さない」
「嫌」
 即答されるとは思わず、切り返すのに数拍遅れた。
「……まさかこれからもする気か!?」
 リシリーを問いつめようとしたら、ふいっと反対を向きやがった。
「うん。結局エセルは来るから」
 その台詞で、切れた。

「お前な、いい加減にしろよ! 勝手に出てったりして、挙げ句攫われて! 俺らがどれだけ心配したか、わかってんのか!? お前がここにいて、引け目感じてることは知ってるし、仕方ないと思う。けど! それで俺たちに心配かけても良いっていう理由にはなんないからな、この馬鹿!」
 一息で言って、椅子の背にもたれた。苛立ってはいたが、胸のつかえが取れたような気がする。
 リシリーが数度瞬いて、俺を見た。……こいつ、懲りてないな。

「……エセルが怒鳴ったの、初めてだね」
「そりゃ、今まで遠慮してたんだよ!」
 勢いで言い放って、はたと気づいた。俺は、リシリーの方が勝手に壁を作っていたのだと思っていた。けど──

「……ごめん」
「怒ったり謝ったり……エセル、変だよ」
 そうかもしれない。

「でも、エセルが怒るのも無理ないよ。私が逃げてばっかりだったもの」
 軽く目を伏せて、呟いた。瞳に睫毛の影が落ちる。
「お互い様か」
「そういうこと」
 リシリーが笑うのにつられて、俺も笑った。手を伸ばして、額にかかっていた髪を払う。少しだけ躊躇ってから、頬に触れた。触れられる場所に、戻ってきてくれたことが嬉しい。

「エセル、わたしここにいても良い……?」
 いなくなってしまった人を、取り戻そうと思ったのは俺の利己的な願い。自分勝手で、贅沢な我儘だ。それに応えてくれる人が傍にいることが嬉しい。

「ああ」
 他に言いたい事があったような気がするけれど、それだけしか言えなかった。







 何年かぶりに、昔ラーシエリィ領と呼ばれていた場所に来たが、風景は一切変わっていなかった……いや、吸血伯が住んでいたという古城だけは取り壊されて、今は無くなった人たちの墓が幾つか建つばかりだと聞いた。

「そういや、娘が消えちまうっていうのも、無くなったなぁ。ほれ、消えちまったっていう娘さんが沢山いたけど、一人だけ戻ってきたって、その時から」
「それは良かったですね」
「ああ、今じゃそんなこともなく平和なものですよ。
 ところで、珍しい格好をしてますなぁ。悪魔祓師さんなんて初めて見たよ」
「でしょうねぇ。それに、この辺りを巡回している物好きは私だけですから」
 そう返すと、気の良い男は、あっはっは、と可笑しそうに笑った。

「確かに物好きかもしれませんなぁ。こんな田舎、何もありゃしませんからな」
「私はここが好きですよ」
 そう返して、遠くの山並みを見つめた。お世辞を言っているつもりは無かった。ここは辛い思い出も残る場所だが、それだけではなくなったから。

「……戻ってきたっていう娘さんは、今どうしてるんでしょうね」
「年頃だからねぇ。誰かに嫁いだかしたんじゃないですかねぇ……あぁ、なんかそんなことを聞いた気がしますよ」
「……そうですか」
「そうそう。確かリンゴ園の息子さんとこだったかな? 二年くらい前の話ですがね」
 それを聞いて、少し安心した。

「それで、どこまでいきなさるんだね?」
「えぇ……──」
 私は男の問いに答えながら、空を飛ぶ鳥を目で追った。

 彼らはどこへ向かうのだろうか? 新しい場所か、故郷か……。いずれにしても、彼らの行き先に幸福があれば良いと思う。
 澄み切った空を見上げて、切に願った。













































【百年の葬送】Date 2005.09.

『人が住む土地には伝説が残る。例えば、三年ごとに娘が消えていなくなるのは、未だに生き続ける吸血伯の花嫁に召されている、というような──
当然在るべきものを失ったとき、何を思い、何を願い、何を背負うのか。』(やぱ富士さま掲載の紹介文より)

 というわけで、一年ぶりの短編です!!
 ……一年ぶりって!!!
 ちょっと遅筆にも程があるだろうよ俺!
 作品と後書きのテンションが違いすぎるので、別の人が書いてる疑惑とか持たれちゃうんだろうなぁ。
 というか紹介文って苦手です。タイトルも苦手です。
 最後の方まで決まらず、提出三日前までファイル名は「吸血鬼」のままでした。
 二日前に「葬送」を使おう! と思い立ち、しかしそれでは語感が悪かったので前に何か付けようと考え、前日にようやっと「百年の葬送」に決定。本当は少しだけ自分に妥協してしまったタイトルなので、微妙に内容とずれてるような気がしなくもない……。
 でも締切三日前にタイトルで悩んでる場合じゃなかったので、現行のままです。

新・やっぱり富士がみたい!」様での第二十二回企画短編、プロット競作・吸血鬼参加作品です。
 話はプロットに肉付けするだけだーやふー★これなら結構早いかもー★
 なんて暢気に考えてたら、ルキウス氏の登場で、そんな幻想が脆くも崩れていくのが分かりました(遠い目)
 出だしめちゃめちゃ好調だったのに、書く内に出るわ出るわルキウスさんの複雑な過去エピソード。エセル&リシリーサイドなんかよりルキウス&イゾルデサイドの方が気合い入ってきちゃって、辻褄合わせに一苦労。最初は本当に伯爵吸血鬼説を支持していたのに、いつの間にかイゾルデ吸血鬼説を熱烈説いてる私。
 まぁそんなことがありましたが、概ね安産な作品ではありました。
 プロットが決まってるって素晴らしい。
 しかし、他の参加者さまの作品を見てると、どうしてこのプロットでこんな解釈が出来るんだぁー!! と己の想像力の無さに打ちひしがれます。

 ところでこれ、短編なのに、総字数が半端ないです。
 25000↑文字。
 ……あっはー卒論二本かいてるようなもんだ★
 単純計算で原稿用紙63枚、やぱ富士さんの掲載形式では78枚。下手すると現在当サイトで掲載している長編より長いかもしれません。
 基本的に章立てで頁を作っているのが長編、無いのが短編、という基準で分けているんですが……一度見直すべきかしら……。

 今回の作品の特徴は、心理描写に拠る所が大きかったかと思います。
 あと、一つの事件、一つの出来事を、登場人物一人ひとりの視点で書いたのは新しい試みだったと思います。だだ、新しくやったことだけに、欠点もあったり。
 いくつか感想を頂いたのですが(有り難う御座います!)、
 『視点の切り替わりが分かりにくい』。
 自サイト掲載にあたって、区切り記号や空白行の付け足しを行ったのですが、やぱ富士様のほうではついてないので、そこにも多少の原因があると思います。
 ですが、主な原因として、文章自体の書き分けが出来てなかったかなーというのがあります。エセルとルキウスなんかどっちもテンション低くてややキャラ被りしてるので、その時点で分かりそうなもんなんですが、一人称なら文章にも個性があっても良いと思うし、その点の区別の付け方が甘かったかと。
 これが反省点であり、今後気をつけていきたい部分です。

 どうでもいーかもしれないんですが、実はいろんな事を、敢えて書いていません。
 ルシアがいつ消えただとか、ルキウス氏の旅立ち動機だとか、リシリーの正体だとか、イゾルデさんが乗っ取ってた身体のこととか。
 短編という枠に入りきらないというのが大きな理由の一つなのですが、あまり作者の都合を押しつけるのもいかがなものかと思ったので。
 それにあんまり理詰めに過ぎると読みにくそうだったし。
 なので、皆様、わからないことは行間を読んで下さい。(無茶な!

 最後になりましたが、機会を設けて下さったやぱ富士管理人・ASD さま、ありがとうございましたv
 今後ともよろしくお願いします。


企画短編以外にも、多くの作品が掲載されています。レベル高いですので是非v
次のお題にも参加出来たらなーと思ってます。