白昼夢
..........Daydreams take me sanctuary..........
0
ここには精霊が住む、なんていうおとぎ話を、昔聞いた気がする。
───急にそんなことが脳裏に浮かんだ。
しかし、その精霊の名前が未だに思い出せない。
1
陽が最も高い時刻に、その庭に訪れるのが私の日課だった。
庭、と言っても柵がないためそのまま丘に続いてしまっていて境界線がない。
私がこの館に住み始めた時から毎年咲いている白い、大ぶりの花───名前は今思い出せないが、良い香りがするので館のそこここに活けていた。
それが、私の役目だった。
両親は、もういない。数人の使用人と共に、この陽のよく当たる場所へと越してきたのは十年ほど前だろうか。
街から離れているがために、買い出しには不便だが、それを除けば十分すぎる程満足出来る、良い土地だ。
私はいつもの様に、いくつかの種類の花を摘みながら、午後の光を楽しむ。
渡る風は、春先であることを感じさせる爽やかな風。私の長い金髪を踊らせる。
「シャリエ」
名を呼ばれて、私は弾かれたように振り向いた。
そこには、長い銀灰色の髪を上品にまとめた老婦人がいた。つばの広い白い帽子をかぶり、淡いライトパープルのシンプルなドレス。両腕に抱えられているのは、白い花。
「おばあ様!」
私は小さく叫んで駆け寄った。
「駄目じゃあないですか。まだ病気は治ってないのですよ?」
少しだけ顔をしかめて、言った。昨日も高熱を出して寝込んでいたというのに……
「シャリエ、いいのよ。今日は気分がいいの。シャリエが外にいるのを見てたら急に外へ出たくなってしまったのよ」
くすくすと笑いながら、おばあ様───チャリス=ヴェルヴェリンという名前だ───は言った。
もうすぐ七十代だが、少女の様に笑う人だ。
大切に思っている。───思っているからこそ彼女の行動を心配した。
「でも……」
「シャリエ」
柔らかな口調でピシャリと私の名前を呼んだ。
穏やかな笑顔で私を見つめ、続ける。
「シャリエは良い子だけれど、わたしに過保護すぎるところがあるわ。
それが時々───確かに嬉しいのだけれど───寂しいわ」
「……ごめんなさい。でも本当に心配なの」
「わかってるわ、シャリエ」
少し視線を落としたままの私の頭を、軽く撫でてくれる。
暖かくて、懐かしい、感覚。
「さあ、シャリエが心配性だから、戻ることにしましょう」
「はい。
あ、ちょうど昨日、香りの良いお茶の葉を手に入れたのだわ。それを淹れましょう」
「それは楽しみね」
私はおばあ様の背を軽く叩いて促した。
その時、私は何故か言いようのない、不安を感じた。
いつもの、あまり変わらぬ風景なのに、妙な胸騒ぎを感じた。
2
今日もまた、花を摘みに庭へ出た。
おばあ様は今日の午後の時間を読書に費やす様だ。
昨日よりも暖かい。暑いと言っても差し支えないだろう。
紫の、小さな花を摘み取り、小さな束にする。
そうしながら、何故かは分からないが、屋敷の方を振り仰いだ。
その私の視線の先には、人がいた。
二階のベランダの手摺に腰掛けた、おそらくは少年。
「!?」
知らない人だった。そもそも同い年の少年などこの辺りにはいなかったはずだ。
何故、あんな所に!?
少年はおもむろに立ち上がると、風の流れに身を任せるように、軽く手摺を蹴った。
「嘘!?」
私は叫んでその場所に駆け寄ろうとした。が、
「この花、何ていう名前か知ってる?」
「えっ?」
自分と同じ年頃───おそらく17、8くらいだろう───の少年の声に、私は思わず立ち止まり振り返る。
金茶色の長い髪をひとつににまとめた、背の高い少年だった。
白一色の、動きやすそうな服装だったが、私の見たことのない意匠のものである。
瞳は青色のようで、緑色のようで……虹の様に、色が見るたびに違う風に見えた。
少年は白い花を一本手にしている……。
「え、名前……?
そんなことより、今、人が……っ!」
「俺のこと?」
「……え……」
あっさり言うので、私はとまどい、それだけしか言えなかった。
少年は、さっきまで私が見ていたベランダを指し、
「あそこにいた奴なら、俺だけど」
「嘘よ!」
あそこは二階だし、下はちゃんと舗装された道なのだ。骨を折ったっておかしくない。普通なら。
「疑い深いなぁ……。なら見て来れば? 誰も落ちちゃいない」
自信たっぷりに少年が言うので、私はその言葉に従ってベランダの下へと急ぐ。
少年がついてきていることを確認しつつ、問題の場所へとたどり着いた。
そこには、誰も、何もなかった。
「ほらな」
ゆっくりと振り向いた私に、少年はしてやったり、という風に笑った。
「どうして……?」
「夢でも見てるんじゃないか? 白昼夢」
少年が、からかうように笑いながら、片手で白い花をいじる。
───確かに少年の言うことには思わず肯定してしまいそうだった。
夢の様だった。
彼が飛び降りようとする、あの瞬間が脳に焼き付いている。
目の前にあるこの現実を、現実として受け入れるよりも、いっそ夢と考えた方が自然かもしれない。
「おいおい……そんなに考え込むなよ……。
これは間違いなく現実だろ? ちゃんと君には俺が見えるし───」
言いながら、私の手を取る。
「こうして触れられるわけだし。幽霊じゃないぜ?」
「じゃあ何なの。これが現実だったら、あなたは何なの?
人は、空を飛べないわ」
少年の手を振り払い、私は少し語調を強めて問いかけた。
彼は、意外そうな顔をしてからまた笑う。
「そりゃま。そうだろうな……。
で、この花の名前は?」
曖昧な返答。私は釈然としないまま、少年の手にした白い花を見つめて、首をかしげた。
「わからないわ。私が知りたいぐらいよ。
……あなたの名前は?」
「君はもう知ってるはずだよ?」
「そんなわけ、あるわけないでしょう……」
今日、会ったばかりなのに。
「じゃあ、忘れてるだけだ。俺は知ってるよ、シャリエ?」
「!?」
私は両目を見開き、少年を見つめた。
彼は微笑んでいたが、どこか寂しげな影が差す。
「次に会うときまでには思い出して欲しいな。
……もう、時間がないんだ」
言って、彼は背を向けた。
「! 待ってよ!」
私は慌てて手を伸ばす。
まだ充分、間に合う距離だった。───はずなのに、少年をつかめず、私の右手は虚空をつかんだ。
───少年は、突如として消え失せたのだ。
非現実的な幻想。
しかし、後に残った白い花が現実であった証。
散った花びらが空に溶ける様子を、私は呆然と見つめていた……
3
あの不思議な出会いから一週間経った。
あの翌日から、おばあ様の容態は悪化してしまい、とうとうベッドから動けなくなってしまった。
以前からかかっているお医者様が毎日やって来て、薬湯を施してくれるが、快方に向かう様子はない。
日に日にやせ衰えてゆくおばあ様の姿が痛々しくて、少しでも心が和む様に、と庭に出て花を摘む時間が増えた。
───ただ、目の前の現実から逃げたいだけなのかもしれない。
この庭は、おばあ様がもよくいらっしゃったから、その頃に戻りたいと思っているのかもしれない。
自分では認識できない無意識なものが、私を外へとかり出すのだろうか……
戻れない時を取り戻したい。事実を事実として受け入れたくない。
……そう、思っている……のだろうか。
あの少年とも、あれ以来会っていない。
名前も依然としてわからぬまま、だ。私が知っていると言っていたけれど。
思い出そうとしても、わからない。だけど、知っている。
思考は堂々巡りだ。
私はため息をついて立ち上がった。
ちょうどその時、
「お嬢様、いらっしゃいますか?」
衣擦れの音と、聞き覚えのあるか細い声───私の館で、メイドをしている女性のものだ───が聞こえた。
何やら慌てた様子の彼女の声を不審に思いながら、彼女の方に近寄る。
「ああ、お嬢様!」
ほっとした様に胸をなで下ろす彼女。だが、顔にはいまだ焦燥の色が張り付いている。
「どうしたの?」
そう問うと、彼女は息を整えてから、
「あの、冷静にお聞き下さいね。
チャリス様が───チャリス様のご容態が急変しましたの。
お医者様の話では、今夜が、峠だと……」
「え……?」
私は思わず両手に抱えた花を取り落とした。
その時私の脳裏に浮かんだのは、この間の言いようのない不安と、この間の少年の去り際の背中───だった。
───その夜、おばあ様は静かに息を引き取った。
白い花に囲まれたおばあ様の死に顔は、眠っているようであった。
4
悲しむ間もなく、通夜が行われ、葬式が行われた。
拍子抜けする程、時間が過ぎるのは早かった。
私は半ば上の空で、喪服のまま白い花畑へと足を踏み入れた。
いつもと同じ庭。いつもと同じ白い花。
私だけが、違った。
喪失感が私の中に残っていた。
不思議なことに、胸の奥から溢れ出る程の悲しみは、起きなかった。
丘にたどり着くと、ぺたりと座り込んだ。
「俺の名前は、思い出した?」
私は声のした方を振り向いた。
以前と同じ白い服、金茶色の髪、不思議な色合いの瞳。
「……まだよ」
「思い出してくれないと困るな。いけなくなる」
「どういうこと?」
「夢が、醒めない」
真剣な顔付きで、少年は言う。
「だって、わからないもの。知らないもの……!」
少年から視線を外し、唇を噛んだ。
「シャリエ」
柔らかな口調の中に隠れる厳しさ。
少年は私の隣に座ると私の頭を軽く撫でた。
その途端、涙が流れた。
「……あ……ごめ……」
それ以上は、言葉にならなかった。
「うん」
彼も、それ以上は言わず、ただ何度も何度も頭を撫でていてくれた。
私は膝を抱え、顔を埋めた。
しばらくしてから、私は少し顔を上げた。
「平気か?」
「……うん」
沈黙が落ちた。
「……私、何で思い出せないんだろう……
きっと、思い出さなきゃ駄目なことなのに……」
「出来ると思うぞ、俺は。 シャリエは強いから」
「そんなこと、無い」
空に、白い花びらが散る。
白い。
白。
───この花はね、わたしと同じ名前なのよ。
誰も、この花をそう呼ばないのだけれどね……。
時が来れば、シャリエも会えるかもしれないわね。
ここに住む白い精霊に‥‥。
少しだけ、寂しそうに、話していた。
その時、その花の名前は忘れないでおこうと、思っていた。
「……チャリス……」
「当たり」
彼はそう言うと立ち上がった。
ぽんぽん、と子供をあやすように私の顔を軽く叩く。
「そいじゃな」
「……帰るの?」
「ああ。期限が決められているしな。
……そんな顔すんな。また会えるだろうし」
くすくす笑いながら、彼は言った。
私は思わず顔を伏せた。
どうやら、余程非道い顔をしていたらしい、と思うと血が上った。
「……ったく、一応今年最後なんだぞ? 笑顔くらい浮かべたらどうだ?
……そりゃそんな気分じゃないだろうけど」
「大丈夫だよ。平気」
少年───チャリスにそう言われ、私も立ち上がると真っ直ぐに彼を見据えた。
「また来るんでしょう? ……チャリスの花が咲く頃に」
言って、微笑んでみせた。
そう言えば、彼に笑顔を向けたのは───当たり前だが───初めてだな、と思う。
彼は不意をつかれた様な、一瞬無防備な顔をさらし、ふと視線をはずした。
そのまま数歩丘を下り、ちらりと振り向いた。
「忘れたりすんなよ。……俺はシャリエを忘れたことなんか、無いからな」
「……えっ?」
私が、彼のセリフの意味を問い返す暇もなく、姿がかき消えた。
いつもの風景が戻る。
白い花【チャリス】の季節が終わる。
私はきっと来年も同じ場所で同じように、この花を摘もう。屋敷の中いっぱいに、おばあ様の大好きなこの花を飾ろう。
それはまるでこの現実を、白昼夢のように優しく彩ることだろう。
……目を閉じて、風を感じる。
私は、全てを受け入れようと思った。
【白昼夢】改訂 2004.3.19
短編です。白昼夢です。
いやはや、急に思いついたので、そのままトランス状態で書くこと3,4時間。ルーズリーフにして約6ページほどの長さの話になりました。
最初は2ページで終わると思ってたんですが、そんなに甘くは無かったですね(苦笑
まぁ短い話が苦手な僕にしては快挙と言うべきでしょうか・・・;
主人公のシャリエは今までの僕の作品には少ないタイプですな〜。
をを、まさしくヒロインってヤツですかぁー!?(何
普段非道いヒロインしかいないので、珍しい一作となりやんした。
お次はチャリスさん。
シャリエのおばあさんですわ。これまた珍しいですね。祖母と孫の話って初めてかも。
老婦人だってー!うわー!すごーい!(何が)
出番自体は少ないし亡くなってしまいますが、中心と言っても差し支えナシです。
精霊のチャリスさん。
設定自体に無理があったんじゃねぇかと今さら不安になりました。(爆
性格は僕のキャラにありそうな感じで・・・(汗
裏設定とか、作ってないので質問とかされるとモロ困ります(汗
あとは皆さんのご想像におまかせします・・・(滅
何にしても、ちょっと変わった話には違いねぇです。
こんな話にも感想くれたらありがたいです〜^^
それではこれにてあとがき終了!
3/19
結末辺りの文章を変更。改訂しながらちょっと懐かしい気分がしました。
私にも祖母がいます。私の祖母はお陰様で今でも健在です。骨が丈夫だと医者にも褒められたようです(笑
この精霊チャリス君に、「白昼夢」のおばあ様もお会いしていたのかもしれません。シャリエと同じように大切な誰かを亡くした日に。もしかしたら、そのおばあ様が大切にしていた人も、精霊君に会っていたのかもしれません。歴史は繰り返す、という様に、この屋敷周辺でも同じ様なリフレインがあるのかもしれません。
この先シャリエが結婚して孫が出来たときも、その孫は精霊君に会うのだと思う。改訂しながら読み返して、そう感じました。
書いたときは何も考えてなかったんすけどね。
05/9/18
再び改訂。ちょっと日本語として可笑しかった箇所や語句の訂正。
内容には変更ありません。