謳ひ人の啼く丘で 第一部
7
一方、別の天幕では、アルジェとラダルが顔を突き合わせていた。
「それにしても、ひどい有り様ですな」
ラダルが痛ましそうに元至泉の集落を見やって言った。
商隊は至泉から少し離れた所でそれぞれ天幕を張り、野営の準備に取りかかっている。いつもなら賑やかな時間帯でも、先程の惨劇の余韻でか、沈んだ雰囲気が漂っていた。
「確かにのぅ……ここまでひどい話は聞かん」
「賊の仕業と?」
地図を眺めやっていたアルジェは、問い掛けてきたラダルに向かって悪戯っぽく笑んだ。
「さてさて……儂は千里眼でないでの。賊の仕業かどうかは分かりませぬな」
「貴方の読みは良く当たるとの評判ですよ。それこそ、千里眼の様に」
「それだけ似たようなことが起こるということじゃよ。長生きしておるとお前さんにも読めるようになろうて」
「ですが、推測は出来ましょう?」
問いを重ねるラダルに、老兵は眉を顰めた。
「……食い下がるのう」
「万が一、商隊が襲われては困りますので、先達のご意見をお伺いしたまでです」
さらりとした笑顔でそう言ってのけて、アルジェを苦笑させた。
「推測なら、幾らでも挙げられるわ。賊の襲撃、疫病、はたまたリグ・リタの侵略」
「まさか」
「あり得ぬ、とは言い切れぬよ。こんな場処では水の確保が第一じゃろう」
例え糧食が尽きても、水があれば何とか生き延びることは出来る。リタ・シリへ進軍するならば、至泉を押さえることは必要不可欠だろう。
「あるいは……再び内乱が起ころうとしておるのやも知れぬ」
「ですが、それにはもう決着が着いたのでは?」
『神宿しの巫女』を中心に形成されているリタ・シリでは、巫女が代わるたびに何らかの波紋が生まれているのは事実だ。
だが、以前の内乱──リタ・シリの巫女とリグ・リタ皇との婚儀を執り行うと宣言したために起きた戦は、十七年前に巫女を輩出したリタ一族の意向に反した、トウラ一族を残らず斬首したことで収束した。
それ以前にも内乱が起きており、東方というのは常に内乱が絶えない、という印象が強い。しかし、十七年前の戦以降はすっかり物騒な気配は身を潜め、だからこそ商隊も自由に行き来出来るようになった。
「そういえば、貴方の養い子は丁度、内乱の年の子供でしたな」
ふと思いついたように、ラダルがそう漏らすと、アルジェは再び地図に視線を落とした。瞳に陰が差す。
「……あれは内乱を知らぬ。生まれた土地と言うても実感が湧かん、というのが本音じゃろう」
「アルジェ老、貴方を雇い始めたのもその頃からでした」
「もう、そんなになるかの」
「思えば、貴方の素性を何一つ知らない。私の父親の知人で、流れの傭兵をしている、とだけしか」
「……」
アルジェは黙ったままだ。やはり、婉曲な表現では無理らしい。ラダルはそう思うと小さく笑う。
「私は貴方の力になりたいと思ってますよ。勿論、貴方の養い子にも」
「それは助かるの。老い先短い儂に代わってあれをしごいてやってくれ」
「縁起でもないことを仰る。まだまだ長生きして頂きませんと、元手が取れません」
本気なのか冗談なのか分からない事を、真面目な顔をして言うラダルに、アルジェは抜け目がないの、と笑ってみせた。
「いずれ、全て話すことになろうよ」
「では、お待ちしております」
馬の毛並みを丁寧に整えてやって、最後に水と飼葉を与えてやった。手馴れている者と比べれば劣るかもしれないが、これで与えられた罰は全うした。一息つくように自然と額を流れ落ちてきた汗を拭うと、袖から少し獣の匂いがした。気付かなかったが、どうやら馬の世話をしている内に匂いが移ったようだ。仕方ないか、とエランは小さく息を吐く。
「お、終わったみたいだな」
どこからか貰ってきたらしい水を手にして、フェルが言った。いつの間にかいなくなっていたと思ったら、どうやら水を調達しに行っていたらしい。それでまたここに戻ってきたのだから、実は結構暇なのだろうか、と考えて、すぐさま打ち消す。
要領の良いフェルのことである。厄介なことにつかまる前に、上手く避けてきたという方が正しいだろう。
「もう一人は? 本格的にさぼりに行ったか?」
フェルが、いるはずの少女の姿を探してあたりを見渡す。エランは受け取った水を口にしてから答えた。
「いるだろう、ちゃんと」
少女の存在を示すように、途切れ途切れに少女のものである声がする。姿は見えないが、いるという何よりの証拠だ。
「なにしてんだ?」
聞こえてくる声は旋律に乗せられていて、それは声というよりは音と呼んだ方が正しい。
「馬の世話をしてる」
その一言に、とたんにフェルが奇妙な顔をしてみせたのは、ほんのつい先ほどまでシェスェルが怠けていたのを知っているからだろう。
「どういう心境の変化だ?」
フェルが心底不思議そうな顔をしたのは、責められることではない。シェスェルの日ごろの行いが良くないのである。
「……自分の持ち物は自分で管理しないと気がすまないらしい」
なので、シェスェルは自分の馬の世話だけしている。二人揃って罰を押し付けられたのに圧倒的に仕事量が違うなどと、いまさら文句を言う気にもなれない。
途切れ途切れの音はまだ聞こえてくる。どうやら中途半端にしか覚えていないらしく、聴いていると同じ旋律を何度も繰り返していた。エランの聴いたことのない歌で、恐らくは商隊の人間の誰かに教えて貰ったかしたのだろう。どこか陽気なその旋律は、耳障りではなかったので、何も言わなかった。
不意に、音が途切れる。馬の世話が終わったのかと思って、シェスェルの方を見ると予想が外れていたことを確認出来た。
誰かが立っていた。臨時の厩となったこの場所は、至泉から一番遠く外側に位置する。外から誰かがやって来たのならば、真っ先に目に付く場所だ。
「誰だ」
誰何しながら商隊の者かとも思ったが、すぐに思い直す。
エランの知った顔ではなかった。少なくともエレクトラム商会の人間ではない。
他の商会の人間も多くいて、全てを覚え切れているわけではないが、確実に違うと言えるだけの特徴が、その人物にはあった。
エランの鋭い声には答えず、その誰かはふらふらと覚束ない足取りでこちらへ近づいてくる、よく確かめようとエランが近づくと、そのままふっと糸が切れるように倒れ込んだ。慌てて、エランが気を失った人物を抱きとめる。
「おやまぁ、エラン君ってば役得じゃーん」
当然のようにフェルが茶化してくる。無表情の下で実は結構混乱していたエランに、言葉を返す余裕はなかった。
「じゃあ、わたしが抱きついてあげよーか?」
何の気もなしにシェスェルが軽く言う。フェルはその少女に向かって嫌そうな表情を向けた。
「凹凸に乏しいお子様よりも美人のおねーさんに抱きつかれた方が嬉しいに決まってるだろうが」
「むっ! それってすっごいしつれー!」
「お前ら、そんなこと言い合ってる場合じゃないだろ」
あまりにもいつもの調子でじゃれあっている二人に、思わずエランは口を挟んだ。状況が状況だけに、二人をこのまま暴走させておくわけにはいかない。
倒れ込んだ人物をなるべく、丁寧に横たえる。
白い髪をした女──いや、エランと同い年ほどの少女だった。
血の気が失せた肌は、いっそ闇夜に光を放つかのように白い。衣服には、砂漠の砂とあまり目立たないながらも僅かに血が固まった跡が付いていた。衣服自体の素材は薄く繊細で、滑らかだった。とても庶民が手にできるものではない。
──明らかに、何か訳が有りそうだった。
思わず深く溜息を吐きそうになったとき、またもや誰かがやってきた。今度は男だ。女よりも意識はしっかりしているようだが、それでもどうやら気力だけで立っているような印象を受けた。
男が、女を見てほっと息を吐いたように見えた。単純に考えれば、知り合いを見つけて安堵したというところだろうか。
「アリヤ様はここにいたか……」
うわ言のように男は呟き、こちらも少女と同様にそのまま気を失った。
「おいおい、なんだってんだ一体」
フェルの疑問は当然だったが、何がどうなっているか丁寧に説明出来る者などいなかった。
「父さん呼んでくるよ」
言ったシェスェルは、すでに自分の父親がいるはずの天幕に向かっていた。彼女の選択は、とりあえず現状で一番最適なものだろう。
「にしても、これまた見事に深読みして下さいって感じだな」
茶化すようなフェルの言葉だったが、エランは頷いて同意した。これで何もない方がおかしいだろう、という組み合わせだ。フェルの言葉を否定する材料など思い当たらなかった。