謳ひ人の啼く丘で 第一部
















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「何かいい話聴けた?」
 小首を傾げてエランの顔を覗き込み、シェスェルは尋ねた。
「良いかどうかは疑問だけどな」
 エランはそう答えて地図の周りに集まった顔ぶれを眺めた。

 彼の正面に立つ男はご苦労様、とエランに声を掛けてから、再び地図に視線を戻し、考えるように顎に手を当てる。
 がっしりとした体躯は武人のそれを思わせたが、整えた衣装と如才無い目、人当たりの良い顔立ちは正しく商人だ。

 穏和そうな雰囲気はどこか人の甘さを感じさせて、やや威厳には欠けるが、この男こそ雇い主であるエレクトラム商会の長、ラダル・トルカトルである。

「全く、毎度の事ながら命懸けですな」
 こんな科白をさっぱりとした笑顔で言えるのは、流石に場慣れしているのだと思わせる。

 ラダルは隣に立つ老人に視線を向け、どうですかな、と問うた。
 問いかけられた方は、小さく笑った。彼の笑みは、人を安堵させる力強さがあった。それは逆境に於いて遺憾無く発揮されるだろう。

 すっと背筋が伸びた立ち姿と、柔らかい物腰に隠された鋭い眼光、何より腰に佩いた剣が、未だ現役であることを如実に物語っている。
 老人の名はラクラ・アルジェンドゥラ。エランの養い親で剣の師匠でもある。

 傭兵の中で最高齢の彼は、ラクラ老、アルジェ老などと呼ばれ、周囲から一目置かれる存在だった。

「確かにの。じゃが、傭兵の数が多いでな。それにかの有名な『赤光』殿もおられる」
 言って、アルジェは右隣にいる青年に悪戯っぽく笑んだ。青年と言うにはまだ若いが、年齢に見合わない実績が彼を大人びて見せている。『赤光』フェル・ヴェイルは大袈裟に肩をすくめて首を振った。

「やだねぇ。これだから爺ってのは油断できない」
 芝居がかった言いぐさに、アルジェはわざとらしく睨み付けて見せた。

「若い者が何を言うか。この期に及んで老体をこき使おうとでも思っとるのかね?」
「まだまだ現役だと大口叩いたのは爺さんでなかったですかね?」
「忘れたのぅ。寄る年波には勝てんからな」
 白々しくアルジェに返されて、フェルはこっそりこのくそ爺、と毒づいた。  それを見て、シェスェルが吹き出す。父親は娘を窘めると、口を開いた。

「お二人とも、それは余裕の発言と取っても宜しいのですか?」
 生真面目な口調で二人の間に割って入る。この様なアルジェとフェルの遣り取りは最早慣れてきたが、どうも真剣味に欠けるのだ。自然、呆れたような表情になってしまう。

「構わんぞ。『赤光』殿が助けて下さるからな」
「勝手な事言うなっつーの」
 飄々とした老人の台詞に突っ込んでから、フェルはエランの方を向いた。

「口の減らない爺さんに育てられたから、寡黙な子になっちゃったのかねぇ……」
「人見知りなだけだ」
すぱっとした返答に、シェスェルが確かにねぇ、と呟く。

「ところで、どんな話聴いてきたの?」
 ころっと話題を変えて、シェスェルが尋ねる。

「リグ・リタ軍が、賊の警戒の為に兵を出したらしい。今、国境付近にいる兵も皆リグ・リタ軍籍だ」
「リグ・リタ軍が?」
「それは確かか?」
「間違いない。リグ・リタの軍旗を見た」

 リグ・リタの紋章は絡み合う二頭の龍と散りばめられた星辰である。黒の地に金の刺繍は遠目に見ても目立つ。何気ない振りをして住人の一人に訊いてみたら、返ってきた答えが先の科白である。

 きっぱりとしたエランの返答に、ラダルはふむ、と頷いたが、何処か納得いかないようである。
「軍が賊を警戒……」
 語尾を濁して呟くラダルに対し、彼の娘は分かり易く顔を顰めてみせた。

「何か、嘘くさくない?」
「シェスェル」
 窘められて、少し肩を落としたものの、少女は悪びれた風ではない。唇を尖らせて続ける。

「だって、リグ・リタとリタ・シリって、仲悪いんでしょ? 軍が出てきて賊が減るのは構わないけど、代わりに戦を持ち込まれちゃ敵わないよ」
「シェス、ここはリグ・リタだ」
 エランの言葉に、他の男三人は同意を示すように頷いた。それを見て、シェスェルは肩をすくめた。

「刺激するなって? わかってるよ。でもいつそうなってもおかしくないって、聞くしね」
 つまり、リグ・リタの出兵はリタ・シリとの戦を想定してのことかとシェスェルは踏んだのだ。リグ・リタとリタ・シリが戦ということになれば、真っ先に混乱に巻き込まれるのはこのレラだ。起こるかどうか分からない戦の噂を、迂闊に住民に漏らして動揺させたくはない。

 住民たちは純粋に賊の討伐の為に皇【オゥルオ】が考えて下さった、と思っている様であるし、本当に賊討伐の軍であるのかもしれない。

 賊による被害はここ数年無視出来ないものになっており、商隊が自由に行き来出来ない治安の悪い国だという評判が立てば、商隊の落とす恵みを享受しているリグ・リタが一番困るのである。

 真意が分からない以上、ここで論議することは無駄だ。彼らの一番の目的はこちらの被害を抑えてリタ・シリの地を踏むことであるのだから、それを優先すべきなのだ。

「軍が警戒し始めたのは、いつ頃かの?」
「半月ぐらい前かららしい」
「それなら、多少は大人しくしてくれるじゃろうて。討伐か様子見か、賊も判断がついてないじゃろうし」
 アルジェはあっさりそう言い放って、周りの若者たちを見回した。
 広げた地図を畳みながら、好々爺然とした笑みを浮かべて見せた。

「全てはリタ神の御心のままに、じゃ。何とかなるじゃろ」
 他の者が言えば、いい加減だと言われるこんな科白も、この老人が口にすると、何故だかそういう気分にさせるから不思議なものだ。
 彼らはその場で散会し、出発の準備を始めた。

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