謳ひ人の啼く丘で 第一部
















3






 風を鋭く、切り裂く音が耳を打った。

 真っ直ぐと野営地へ向かおうとしていた獣が、大きく後方へ弾き飛ばされるのを見た。少なからず驚いて軌道を辿ってみると、その先に人影があった。随分小柄な人影と、それを守るかのように数人の男達。

 その小柄な人影が構えていたのは弩。それで、向かってきた獣を撃ったのだろう。

 弩を手にしていた人影は些か緊張した面持ちで、自らの撃ち落とした獣を見つめていた。それがエランもよく知る少女であることが視認出来、その隣に立つ人影もまた誰なのかが分かった。

 びんと背筋の伸びた老人だ。鎧と腰に佩いた剣がよく似合う、武人然とした姿である。

「間一髪ってところかな」

 少女特有の甘さを含んだ声が耳に届いた。ここまで入り込んだのはこの一匹だけらしい。他でも追い払ったのだろうか歓声が聞こえてきた。フェルが遅れてきたエランを見遣って、肩をすくめた。

「でも、射撃精度は弓に劣るかなぁ」
 暢気な少女の声がまた聞こえて、老人の反対側にいた男が笑った。

「だったら弓にすりゃあよかったろうが」
「だぁって、せっかく取り寄せたんだし、早く使ってみたかったんだもん」
 少女のふくれっ面まで見えるような声でそう言ってから、漸くこちらに気付いたらしい。少女が大袈裟に手を振ってくる。

「こっちは大丈夫だよ」
 職業傭兵ではないが、下手な傭兵よりもよっぽど腕の立つ人間の姿を認めて、エランは息を吐いた。

「少しくらいなら、まわしても大丈夫そうみたいだなぁ、あの調子じゃ」
 フェルが戯けて言うと、少女の隣の男があのな、と溜息を吐く。
「下手なことを言って、この嬢ちゃんを調子づかせんでくれ。ただでさえ引き留めるのが難しいんだ」
 男の台詞に同感だと思ったが、頷くのはやめておいた。少女がそのやり取りを聞いて唇を尖らせていたが、二人は知らぬ振りをしている。
 ほどなくして、敵は全ていなくなったと報告してきた者があった。

「やれやれ、出鼻を挫かれたようじゃな」
 老人が飄々とそう言って、近くにいた男を捕まえて何やら指示を出す。

「出て行った者には休息を与えてやれ。遺骸の始末はその後だ」
 男もまたそう言って、エランとフェルを見遣った。
「おい、あれを一番最初に確認した奴は?」
 問われて、エランとフェルは顔を見合わせる。

「さぁね。俺達が見つけたと同時に反対側でも声が上がってたけどな」
「そうか」
 男はあっさりと頷いて、少し休んでおけと労いの言葉をかけて立ち去った。
 その言葉に甘えて、二人は少しだけ仮眠を取ることにした。

 戦闘の後で気が高ぶっている。眠れるような気がしなかったが、実際に横になってみると案外瞼は重い。強く感じてはなかったが、やはり疲れていたらしい。

 眠りに落ちる直前、強い血の香りが鼻腔をくすぐって、あまり夢見は良くなさそうだと思った。






 夜が明けるにはまだ早い、払暁の薄闇の中で人が慌ただしく移動しているのが見える。
 忙しそうに立ち働くのは商隊の使用人たちと傭兵が殆どで、それを指揮する男達の声が飛び交う。

 深夜の戦闘の余韻を引きずってか、今朝は皆目覚めが早い。
 幸い、こちら側にはけが人が数人出ただけで大きな被害はなかった。
 凡庸神
【アタナン】の死骸や賊達の骸を集めて埋葬し、一応の黙祷を捧げたが、血痕は隠しようもない。

 無言で行われた儀式は犠牲に対する悔いや弔いよりは、この街に対する配慮の意味が強い。

 東方は信心深いのが常だ。彼ら傭兵が敵と見なして排除する凡庸神【アタナン】ですら、その名の通り神なのだ。故に、手厚く葬らねばレラの住民が祟りを畏れて、今後商隊の出入りを拒むことも考えられた。

 死体が粗方片付けられて、一段落したところで次は炊事の為に女達が姿を現した。その他馬の世話に走る若者や荷の点検、整理をする手代など、彼らがやることは山積みである。

 そうこうしているうちに空は明るみ、太陽の光が燦々と照りつけてきた。
 一日の始まりと共に、にわかに活気づいたその様は、街がそのまま移動してきたかのようである。

 エランはその中を通り抜け、エレクトラム商会の天幕に向かう。
 エレクトラム商会は今回の商隊集団の中では大きめの規模で、派手な実績は無いが、堅実に商売を広げてきた。

 扱うものが高価なだけに、人件費、護衛費用諸々に自らの利益を加算して、原価の何倍もの売値をつけるような商人も多い。その中で、エレクトラム商会は比較的安価で良質な品物を売ることを信条にしている。だからうちは採算がとれないんだよ、とはエレクトラム商会長の娘、シェスェルの言だ。

 その当人は大人たちが広げた地図を物珍しそうに眺めていたが、不意に視線をエランの方に向けた。  短めの跳ねた赤毛が、あどけない少女の輪郭を縁どっている。格好もそうだが、くるくると良く動く、快活そうな緑の瞳がこの少女を少年っぽく見せている。

 弩を操って、見事獣を討ち取ってみせたのがこの少女だ。年は確か十三か四だったはずだ。
 当然、エレクトラム商会に雇われて長いエランはシェスェルと面識がある。彼女が商隊を組んで旅するのに加わったのは今回が初めてだが、緊張も無いようで、あちこちに顔を出しては好奇心を満たしているようだった。

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