謳ひ人の啼く丘で 第一部
















2






 夜の帳は等しく平等に皆を覆い、星がそんな彼らをからかうように瞬く。一日に幕を閉じるその様に、夜の始まりを改めて感じる。

 しんと静まり返った場所で、時折ぱちりと火の爆ぜる音が聞こえた。
 刺すような日差しを投げかけてきた日中とは逆に、夜の温度は低く下がっている。夜風に冷やされた風は透明度を増し、清廉な印象を受ける。限界まで張り詰めた糸のように、引き締められた空気が周囲を支配していた。

 ふと、暇に飽かせて空を見上げる。どこまでも続く、星空の天蓋。薄くかかった雲が風にながれてうねる。夜空に濃淡を描き出し、単調な時間を彩っていた。

 髪を掻き乱す冷ややかな風が吹く。幾つか立てられた松明も強い風に生き物のように揺らめく。風を受けていると水分ばかりでなく体温さえも奪われていくのが分かった。
 しかし、夜はまだ長い。こんなことで音をあげてはいては傭兵の名折れである。

「交代だぞー」
 とやる気のない台詞と共にやって来た人物に、エランはちらりと視線を向けた。
 
「あー……やっぱ中途半端に休んでからだと辛いな」
 聞かれてもいないのに、こきこきと肩を鳴らしながらフェルがこぼす。
 半端に休んでから目を覚ますのは辛い。身体が休む準備をしているというのに、起きなくてはいけないのだから当然とも言える。

 最初は慣れなかったことでも、今ではすでに沁み込んでしまって、大分身体も楽になってきている。
 無論、そんなことはフェルも承知の上で、愚痴というよりちょっとした挨拶のようなものだ。

 隣に並んだフェルを見上げると、彼はエランも見ずに少しばかり目を細めた。
「……ま、寝覚めの運動にはちょうどいいかもな」
 言った途端、フェルの目に光が宿る。口元が好戦的な笑みが浮かべた。

 それを受けて目線だけ動かした。距離はまだ遠い。相手の姿を確認出来てはいないのだが、確かに何かいる。証拠はないが、直感で分かった。無意識にエランの手は剣の柄へと伸びる。

 灯りは、空からの光と遠くから照らす松明のみ。視界は良好、とはお世辞にも言えないが相手の顔が分かるほどの明るさはある。
 エランの吐き出した息が空気と混ざり合い、風の音に紛れる。
 その時。

「凡庸神【アタナン】だっ!!」
 静けさを破って聞こえた悲鳴の方向に、反射的に振り向く。

 しかし後方に何かが近づいているような気がして、何も考えずに振り向きざま剣を繰り出した。ぎゃっ! という悲鳴が間近で上がり、それの爪先が僅かにエランの頬を掠めた。

 寒さよけに身にまとっていた毛布が返り血で濡れる。動きやすくするためにそれを脱ぎ捨てた途端、寒さが小さな針のように肌に突き刺さったが、気にならなかった。

 いつの間にか数匹の獣に取り囲まれていていて、それと対峙する。冷たい夜風に血の匂いと獣の生臭さが混ざる。その生々しい殺戮の雰囲気に思わずエランは顔をしかめた。

 再び風が吹く。今度は、匂いとともに音も運んできた。途切れるような悲鳴、金属の擦れ合う音、逃げろと避難を指示する怒声。

「来るぞ」
 フェルに言われるまでもない。エランは既に剣の露を払い、構えている。闇の中の密やかな足音が近づいてくるにつれ、血の匂いも濃さを増していく。

 はっきりとした姿はわからず、ただ獣の輪郭だけが闇の中、僅か濃く形作られている。
 一呼吸置いてから、獣が飛びかかってくる。獣がこちらの喉元を狙ってくるのを避けるために、敢えてエランは踏み込んだ。
 剣は逆に獣の喉を易々と貫き、夜目にも鮮やかな血泡を吐いた。それを軽い身ごなしで避け、返す刃でもう一匹しとめて見せた。

 血の匂いは獣のものだけではないらしい。間合いを取っている獣の口からも、赤い液体が糸を引いてぽたりと落ちる。ふと視線を獣たちが現れた方向の先へ巡らせると、いくつかの死体があった。無残に食い千切られて、元の形をとどめてはいないが、着ていた服らしきもので人だと判断する。

 ここは天幕を張っている商隊の中でも端の方に当たる。この様な場所で身を潜めている人間など限られている。恐らくは賊の類だろう。

 商隊の金目の物に目を付けていたのだろうが、獣の気配に気付かなかったようだ。だからといって同情する気はエランにはない。ひとまず問題となるのは、敵の数だ。個々としては脅威にならないが、守るべきものがある身とすれば複数なのは厄介である。

 だが、深く考えている暇はない。また一匹こちらに飛びかかってくるのを屈み込んで避ける。追撃しようとしたが、それはフェルが鮮やかに仕留めた。フェルがにやりと笑ったのを見て、エランも軽く笑みを返した。

 剣を握り直し、構える。相手の純粋な殺意を感じ取りながらじりじりと移動する。
 瞬間、空気が動いた。擦れあうように振動する。

 いつの間に合図でも交わしあったのか、数匹が一斉に飛び掛ってくる。エランはぐっと両手で握った剣を、飛びかかってきた獣の、大きく開けた口に刺し込む。剣はそのまま獣の頭蓋を貫き息絶える。

 獣の死骸を振り払っている内に、もう一匹が足に食らいついていたが、これは覚悟の上である。痛みを堪えて蹴り飛ばし、ぎゃん、と吠えた獣に剣を突き立てる。

 冷静な剣捌きだった。普段の彼を象徴するかのような、淡々とした動作は機械的とも言えた。だが切っ先は的確に相手を捕らえて切り伏せる。決められた型を決められた様になぞっている、まるで剣舞のようなその動き。

 フェルの方も、無造作な動きで剣を操り、確実に敵を屠っていく。足取りも軽く、からかうような仕草で獣を翻弄している。余裕で結構なことである。フェルの様子を見てエランは軽く溜息をついた。

 フェルとエランの他に、加勢に出て来た傭兵が何人か。彼らもまた善戦していたが、数の多さ故に足止めを食らっていた。
 斬っても斬っても、また次が現れる。比較的無害な小物とは言え、今は血に酔っているかのように気が荒い。

 早く退治してしまいたい、しかし数は減らない。火に弱いこの獣は、火を見せるだけでも退散するようなものだが、応援がまだ来ない。

 いつ終わるとも分からない気がして、ただひたすら斬っている内に、焦りと疲れからか単調な作業となりつつあった剣の動きが鈍った──それが敵の好機となった。

「あっ!」

 誰の悲鳴か分からなかった。もしかすると全員が何かしら声を上げたのかもしれない。
 飛び掛ってくる群れから、抜けた獣がいた。真っ直ぐと野営地へと向かっていく。

「しまった!」
 すぐさま気付いたフェルが追うが、残っていた獣に留めを刺していたエランは出遅れた。追おうと身を返そうとした少年に、再び獣が飛び掛ってきた。

 舌打ちをして斬り捨てる。残りはあと数匹だ。その場にいた傭兵に後を任せて駆けだした。
 この獣は傭兵にとって雑魚でしかないが、武器を持たない人間にとっては十分脅威になり得る。

 間に合わないかもしれないという焦燥に駆られて野営地の中心へ向かう。
 丁度、その時だ。

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