謳ひ人の啼く丘で 第一部
















第一部 紡ぎ手






















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 ──乾いた風の匂いがした。

 幾度となく嗅いできた、慣れた匂いであると同時に懐かしいものを感じるのは、やはりこの土地に生まれたが故なのだろうかと彼は首を傾げた。

 とは言えこの辺の生まれだという話は聞いていても、流石にその時の記憶など持ってはないので、気のせいかもしれないが。

 この街は最果ての街と呼ばれている。中央唯一の皇国リグ・リタから見て端にある小國の街は皆そう呼ばれるが、ここはその中でも東のヤト小國のレラという。
 このレラより東は乾いた草原から沙漠になり、その沙漠を越えればはリタ・シリの民が住む土地に辿りつく。

 リグ・リタは元より、東方と称される土地に住まう人間は全てリタ・シリの民を祖先とするらしい。故に、東の辺境に根を張っているにも関わらずその名は広く知れ渡っている。それだけでなく、リタ・シリには様々な噂があり、最も信憑性があるとしてまことしやかに囁かれている噂がある。即ち、『リタ・シリには神が息づく』と。

 リグ・リタが皇国を築いて君臨し、東方を平らげ始めた頃、最初に行ったのは古来よりの信仰を廃し、リタ──<至高なるお方>という意味の古語で最高神を指す──を皇
【オゥルオ】と見立て、彼自身の下に信仰を集めることだった。

 だがリタ・シリだけはリグ・リタの支配下には下らなかった。それというのも、リグ・リタが国家として存在し始めた時よりも遙か以前から、リタ・シリには神宿しの巫女が生まれるからだ。

 リグ・リタも古い国とは言え、三百年かそこらの歴史しかない。皇によって支配されている時代より、遊牧していた時代の方が長いのだ。その中で自然を敬い、あるいは恐れながら、それと折り合って来た民が、自然には神が宿ると考えたとしても何ら不思議ではない。

 正しく、リグ・リタにとってリタ・シリの存在は目の上の瘤だが、容易に手を出して民意を損ねたくないのが現状だろう。

 最近傭兵仲間から聞いた話を思いだしながら、彼は何となく東の空を注視した。
 地平線は未だ残光で赤く、夜の始まりを示す紺青へと色を移していく。日輪の残滓は大地そのものを深紅に染め上げ、草陰の黒ささえ深紅の絨毯に描かれた模様のようだった。それを彩るようにして、果てで煌めく金の粒は沙漠の黄砂だろうか。

 明日ここを越えることを思うと気が重いが、紅と金の織りなす景色は、誠神々の土地という言葉に相応しかった。

「エラン」
 名を呼ばれて、彼は振り返った。視線の先で一人の男が軽く手を挙げた。
 エランが雇われたのとはまた違う商会の傭兵で、フェル・ヴェイルと名乗っていた。

 殆ど交流を持たぬ閉鎖された土地、という印象の強いリタ・シリ地方だが、実際には品物のやり取りは頻繁に行われている。
 主な交易品は絹と香木、そして夜光石だ。どれも所謂、高級嗜好品として高額で取引されている。

 中でも珍しいのが夜光石だろう。夜光石といえば、東方原産の希少価値の高い幻の石だ。同じく東方などで掘り出される青玉も透明度が高く、人気もあるのだが、それでも夜光石には遠く及ばない。

 不透明な石の様だが、光に透かすとまるで泉の底にいるような透明度を持ち、揺らめいて見えると言う。見る角度によって、千変万化の青が現れ、見る者を虜にするという魔性の宝石。夜になると僅かに発光して、昼間とはまた違う表情を見せる事から夜光石の名を付けられたそうだ。
 宝飾的価値はもちろんのこと、呪物的価値の側面を持ち、幅広い人間がこの石を手に入れるのに大枚を叩いている。

 そんな滅多なものを商品にして売り払う商人が、追い剥ぎや賊の標的になりやすいのは当然で、故に幾ばくかの金を吐き出して護衛を雇う。大所帯のところになると十数人の傭兵を一度に雇うことも珍しくなく、小さな商会ならば徒党を組んで目的地を目指すのだ。

 傭兵の中には一時的な者もいれば専属として年単位で雇われる者もいる。フェルは前者で、エランは後者だ。しかしエランは今回で契約切れになるので、フェルとあまり変わらないかもしれない。
 来年からも勤めてくれないかと誘われてはいるものの、それはエランが決めることではない。

「……見張り交代、とかじゃないよな?」
「当たり前だろ。まだ日が暮れたばっかだぞ。流石にこんな時間から警戒してもな」
 言って肩をすくめる彼は、エランより二つ年上の十九歳。淡い金髪は短く刈られ、その瞳は鮮やかな緋色。今の景色と同じような髪と目はそれだけで目を惹いた。

 彼が敵を屠る度、剣の刀身だけが血の色に染まるという逸話から『赤光』という二つ名を与えられている。剣の腕を以て生計を立てる人間はもとより、そのような人間を必要とする者なら誰でも知っている有名な逸話だ。

 勿論、エランもその話を知っている。『赤光』が商隊の護衛に付くらしいと聞いた時には少なからず興味を持ったものだ。特に接点があったわけではないが、フェルは何かとエランに声をかけてくる。
 噂では年の頃三十半ばで容貌魁偉、うかつに人を寄せ付けない──らしい。噂など全くあてにはならないと再確認したものだ。

「お前、臆病者なんだって?」
 フェルが突然発した問いに、エランは数度瞬いた後、得心したようにあぁと呟いた。
「らしいな」
 あまりに淡泊な返答に、フェルはため息をつく。

「……もうちょい怒るかなんか反応しろよ」
「別に外れてなくもないし」
 呆れ気味に言った台詞の返事が、この淡々とした言葉だ。
 景色を眺める横顔は年相応に見えた。濃い琥珀色の髪に紫の瞳の取り合わせは、どちらかと言えば西方や北方の特徴に近いが、顔立ちはこの辺りの人間だろうと思わせた。

 しかし、剣の腕を売りにしているようには見えず、初めはエランの連れである男の小姓か何かかと思っていたが、実際に魔物──この辺では凡庸神
【アタナン】と呼ぶらしい──を斬って捨てた様は堂に入っていて、剣を握ってそれなりに経っているのだろうと感じさせた。

「とてもそうは見えないけどなぁ」
「よく言われる」
 至極あっさり頷いてくる少年に、フェルは苦笑する。多分、見た目の年に見合わない落ち着きぶりが、周りの人間からのやっかみの対象にもなるのかもしれない。
 かく言うフェルも陰口を叩かれる側の人間なので、それで興味を持ったのかもしれなかった。

「ま、明日は沙漠越えだ。さっさと休んだ方が良い」
 そう声を掛けると、エランは小さく笑って頷いた。
 再び東に視線を戻すと赤い色は全て溶けて、星がひとつふたつ、姿を現し始めた。

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